噺家、いろいろ 『落語CD/東西名人揃いぶみ』より ☆☆☆

『落語CD/東西名人揃いぶみ』 橘屋圓蔵・三遊亭小圓遊・三遊亭圓窓・古今亭志ん馬
※1979年3月 国立演芸場こけら落とし公演 

おじさんたちの世代の人間にとって、子供の頃、お馴染みの落語家のタレントと言えば、どうも、東京の落語家の場合が多い。

つい先頃、この古本屋で取り上げた林家三平さんもそうだし、三遊亭圓楽さん、立川談志さん、桂小金治さん、三遊亭圓歌さんなどの名前が、すぐに思い浮かぶ。

むろん、タレントだから、およそ60年代以降のラジオ・テレビ時代が大前提となる。

上方の落語界では、その頃、「どんなんかな~」と言うギャグで一世を風靡した笑福亭仁鶴さん、遅れて、『ヤングおー!おー!』の桂三枝(現在 桂文枝)さんが、ラジオ・テレビタレントとして活躍し始めていた。

オヨヨ! 

何しろ、その頃は、まだ、上方落語は、存続の危に瀕していた。

先頃亡くなった桂米朝さんを初め、桂小文枝(後、桂文枝)さん、笑福亭松鶴さん、桂春団治さんが、四天王と呼ばれ、上方落語の復興に尽力していた。

だから、タレント活動どころではない。

寄席や演芸場が主戦場だった。

タレントを副業にしている場合ではない。

と言うことで、この頃は、概ね、落語家のタレント進出においては、東高西低の状況だったと思う。

大阪に暮らしていたおじさんが、そう感じるのだから、落語家タレントは、東の落語家が、およそ先頭を走っていたのだろう。

ところが、吉本興業が東京に進出し始めてからは、これが逆転して、上方の落語家がタレントとしては隆盛を極めるようになった。

江戸前落語では、テレビタレントと言えば、笑点出演者が中心となっている。

まあ、こうした東西の落語家のタレント勢力図はさておき、おじさんの子供の頃は、圧倒的に、林家三平さんを初めとして、江戸前の落語家の活躍が印象に残っている。

その中で、とりわけ、おじさんに強烈なイメージを残しているのが、当時、月の家圓鏡と名乗っていた、現在の四代目 橘屋圓蔵さんだ。

イガグリ頭で、分厚い黒縁メガネをかけた落語家と言えば思い出される人も多いだろう。

本来、メガネは高座ではタブーだ。

そのメガネが、かえって、トレードマークになった。

上方でも、桂文珍さんが丸メガネをかけているが、どうも、こちらの方は伊達メガネのようだ。

この橘屋圓蔵さんは、実際に、強度の近視である。

いやはや、通称「よいしょの圓鏡」と呼ばれていた。

まさしく、落語噺に登場してくる下町の熊さんとは、こんな風体だったのはないかと思わせる。

誰に対しても、腰が低く、愛嬌たっぷりに、馴れ馴れしくすり寄っていくが、言うことは、中々、辛辣なことも言う。

毒舌もある。

滅法、頭の回転が速く、ナンセンスギャグがポンポンと口をついて飛び出してくる。

とぼけた顔に似合わす、その切り込み方が、存外、鋭いのだ。

あの初代 林家三平さんの場合は、以前書いたように、涙ぐましい程に努力して集めた小噺を、ギュウギュウに詰め込んだ頭の引き出しの中から慌しく取り出して、話しを繋いでいくと言う感じだ。

だから、概ね、前後の話しの脈絡がないから、何が飛び出してくるか分らない。

まあ、その話しの間を、突拍子もない歌で繋いだり、お客さんをいじくったりする訳だ。

ところが、大師匠 桂文楽さんに対して、三平さんの弟弟子でもある、この橘屋円蔵さんの場合は、持ち前の頭の回転の速さのせいか、予め、噺の在庫が無くても、即意即妙に、ナンセンスギャグをその場で創作して、次々と繰り出してくる。

と言うことで、噺は、橘や円蔵さんの場合、三平さんと違い、新作噺でも、ちゃんとストーリー性を持って連結していく場合が多いのだ。

まあ、橘屋圓蔵さんは、新作から古典落語の大ネタまで幅広く演じることのできる、元来、実力のある人だ。

今回のCDでは、おじさん、『猫と金魚』という得意ネタを聴いた。

とにかく、十八番の噺だけに、楽しめた。

タレント業が優先されていたので、若い頃は、この落語の実力が充分に発揮されなかった。

何か、もったいないような気がする。

三遊亭圓楽さんもそうだが、この落語家とタレント業との二足の草鞋は、ご本人にとって悩ましいところだろう。

最も、上方落語の笑福亭鶴瓶さんや桂ざこばさん、笑福亭鶴光さんなどは、タレント業一本に絞り込んだ方が、今となっては良いようだ。

オヨヨ! 

とにかく、落語噺に打ち込むのと、タレント稼業の両立は難しいもので、二兎を追う者は、一兎も得ず、どっちもつかずになるようだ。

橘屋圓蔵さんの場合には、月の家圓鏡から、名跡を橘屋圓蔵と襲名した時に決意し、タレント業を卒業したようだ。

現在、さすがに81才になり、高座の方は遠慮されているようだ。

晩年は、テレビでは、とんと見かけなくなった。

襲名後は、橘屋圓蔵一家を束ねる師匠として、大ネタにも挑戦し、名跡に相応しい本格的な落語を演じていたようだ。

もう一人、タレント業と落語課としての自分のギャップに悩んでいた落語家がいる。

このCDに登場してくる三遊亭小圓遊さんだ。

よく、笑点で、三遊亭圓楽さんや桂歌丸さんから、オバケと呼ばれて愛されていたお馴染みの顔だ。

その顔に似合わぬキザな仕草と物言いが、特異な雰囲気を醸し出す落語家だった。

笑点では、妙に存在感を発揮して、大喜利タレントと言っても良かった。

ところが、どうも、ご本人は、このキザなキャラクターと落語家としての本来の自分とのギャップに悩んでいたらしく、ついつい深酒が過ぎたらしい。

本来、酒の飲めない人のようだが、亡くなる前には、酒なしでは過ごせない状態になっていたと言う。

その酒のために、巡業先の山形県での高座が終わり、楽屋に下がった直後に吐血し、病院に運ばれる。

そのまま、当地の病院で、食道の動脈瘤破裂のため、亡くなっている。

48才という若さであった。

明らかに、お酒の飲み過ぎが影響したのだろう。

実は、おじさん、今回初めて、このCDで、三遊亭小圓遊さんの高座を聴いた。

いやあ、改めて、高座を聴いたことがなかったことに驚いた。

落語はオーソドックスで、笑点の大喜利とは打って変わって、まさに、生真面目に落語を演じている印象を受けた。

噺の方は、可もなく、不可もなしというところだろう。

落語家としては、精進して、これからの人だったのだろう。

おじさん、色々なタイプの落語家がいて良いと思う。

明石家さんまさんのように、落語家を入り口として、元々、落語家であることに拘らず、タレントとしてやって行った方が良いと思う人もいる。

それでも、おじさん、落語家としての十二分の素質を持っていながら、タレント業のために、その素質を生かしきれないのは残念な気がして仕方がない。

いやはや、ホント、宮本武蔵のように、その両刀を使いこなせるのは、立川談志さんや古今亭志ん朝さんなど、稀有の才能に恵まれていなければならない。

おじさんの好みとしては、落語にしっかりと軸足を置いた一途な噺家さんが好きである。

タレント業に突っ込んだ足を、自ら「ヨイショ!」して持ち上げた橘屋圓蔵さんは、エライ。

お後がよろしいようで…。

  ※ヤフーブログにて 2015年8月29日 アップ

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