寅さんに共感 『映画/男はつらいよ』(奮闘篇・葛飾立志篇)より ☆に関係なし

『映画/男はつらいよ』 フーテンの寅 (奮闘篇・葛飾立志篇)
 ※渥美清主演 山田洋次監督 1971年製作・1975年製作


今年のおじさんのテーマは「奮闘するおじさん」である。

理由は、既に、新年のごあいさつで書いた。

まあ、簡単に言えば、たまには、ぐうたら猫から抜け出して、今少し前向きに生きてみようということだ。

で、予告していた通り、お正月は奮闘努力の寅さん映画で過ごすことにした。

立て続けに駆け付け二杯、いや、二本観た。

いやあ、大爆笑。明るい正月になった。

しかし、よくよく考えてみれば、寅さん映画は、奮闘努力はするが、いつも報われないエンディングとなるのだった。

最後には、涙の雨が降ってしまうのだ。

これはヤバイ。

まあ、それはそれで、報われないことにチャレンジするから、男はつらいのだ、いや、偉いのだ。

と言うことで、とにかく、今年一年、寅さんよろしく、いろんなことに奮闘してみたいと思っている。

そう言うことで、数多ある寅さん映画から、奮闘篇、立志篇の二篇を選び出した。

今年こそ、志を抱いてガンバルゾという意味のセレクトだ。

さて、映画の内容だ。

奮闘篇、これは古い。

初期の頃の作品だ。

おいちゃんを演じるのは、まだ、ご健在の頃の森川信さんだ。

帝釈天の住職もタコ社長も、妹のさくら夫婦もみんな、まだまだ若々しい。

寅さんの母親お菊役で、往年のミヤコ蝶々さんも出演している。

榊原るみさんて、覚えていますか? 

今どうしてるのかなあ。

目のぱちくりした西洋人形のような可愛い女優さんだ。

映画では、むろん、まだ若く、集団就職で青森から縫製工場で働くために上京した、いささか頭の弱い少女を演じている。

この映画では、故郷に戻りたくて、働いていた沼津の縫製工場から逃げ出し、警察に保護されているところで、寅さんに出会うことになる。

お金のない彼女に、財布に残ったなけなしの金をはたいて、青森までの切符を買ってやる。

当時は、沼津から青森までは3千円位だったらしい。

それはともかく、彼女を駅の改札で見送る際に、何か困ったことがあれば、葛飾柴又帝釈天の参道にある団子屋《とらや》を訪ねてくるようにと、覚書のメモを渡してやる。

しばらくして、その彼女が、ひょっこり、《とらや》に現れるのだ。

折しも、寅さんが、タイミング良く、いや、タイミング悪く、テキヤ稼業の旅から戻って来る。

それからが大変だ。

《とらや》に住み込みで働くようになった彼女に対し、寅さんが保護者として纏わりつくようになる。

むろん、寅さんは善意だ。

善意で奮闘している。

だが、いつもながらの一方的な愛情の押し売りである。

やがて、その愛情は、彼女と結婚して、一生面倒見てやろうと言う勝手な思い込みへとエスカレートしていくのだ。

その結末は、言うまでもないが、ご想像の通りだ。

その失恋の顛末は、映画を観ていただくことにする。

次に、葛飾立志篇の方だ。

この回のマドンナが、これまた懐かしい。

あの『おはなはん』の樫山文枝さんである。

はて、『おはなはん』が分からないかも知れない。

ずっと昔のNHKの朝ドラだ。(1966~67)

その番組で樫山文枝さんが、ヒロインのおはなはんを演じていた。

当時は、確か、お嫁さんにしたいナンバー1の女優さんだったと思う。

丸顔のお茶目な笑顔が優しい、それでいて、しっかりした芯の強さを感じさせる女優さんだった。

その樫山さんが、メガネをかけ、マドンナとなり、《とらや》の二階に間借りしている大学の先生を演じている。

そこへ、またまた、寅さんが、《とらや》に戻ってきて、お定まりの一目惚れとなる。

何を間違ったか、学問に目覚め、樫山さんの生徒になって、お勉強を始めるという筋立てだ。

むろん、寅さんは、またもや、片思いの恋に落ちることになる。

だが、所詮は、無理目の叶わぬ恋。

いい人だと思われても、恋愛の対象にはならない。

果たして、懸命に?勉強を始める寅さんだが、道半ばにして、タイムアウトになる。

恋敵の登場だ。

さて、樫山さんをかっさらおうとした男は、どんな男だったかは、映画をご覧頂くしかない。

二作とも、奮闘努力の甲斐もなく、寅さんは、再び、恋に破れて、またぞろ、あてどないテキヤ稼業の旅に出ることになるのだ。

後ろ姿が悲しい。

いやはや、前に、寅さんの映画を観たのは、一体いつ頃だっただろうか。

出張の飛行機の中だったろうか? 

それとも、旅行での観光バスかも知れない。

いや、テレビの映画番組においてだったかも知れない。

とにかく随分昔になる。

実は、おじさんの大学の卒論のテーマが、お恥ずかしながら、「日本人の漂白意識について」だった。

何を言い出すかと思われるかも知れない。

当時、おじさん自身も、今では何を考えていたのか分からない。

確か、現在のフーテンの寅さん、戦前の流浪の俳人山頭火、そして、中世の漂泊の歌人西行を取り上げて、過去から現代に至るまでの、日本における、故郷と家族との絆を断ち切られたデラシネ【根なし草】の日本的系譜を辿るものだった。

三者に共通しているのは、家族の愛情に恵まれなかったということだ。

だから、故郷は苦いものでしかない。

このことが、やはり漂泊のきっかけになっている。

反面、その家族への執着が、強烈な故郷への思いとなるのだ。

その郷愁を、文学者たちは、優れた作品へと昇華させた。

さて、寅さんは、さくらとは異母兄弟。

浮気者の父親が、当時、大阪からやってきた流れ芸者お菊(ミヤコ蝶々)とできて、その間に生れた子だ。

そのまま、母親のお菊は、寅さんを残して子育てを放棄し、大阪へ帰ってしまう。

実は、寅さん同様、山頭火も西行も、親の愛情に薄いと言う共通項を持っている。

いやはや、そんな寅さんだから、妹のさくらやおいちゃん、おばちゃんがいる、家族の温かさを感じることのできる葛飾柴又の《とらや》へ強い郷愁を覚えている。

しかし、そこにも、確かな居場所がある訳ではない。

そこは、自らが愛情を拒否された場所でもあるのだ。

まあ、かっての多くの日本の文学者にとっても、故郷は、それ程親和的ではなかった。

やはり、故郷は、「遠くにありて思うもの」なのだ。

多くの文学者が、根なし草として漂泊することで、優れた文学を生んだと言って良い。

まあ、それはさておき、戦後の日本人は、故郷を離れて、新天地を目指し、都会へと流れ込んだ。

集団就職などが、その象徴だろう。

やがて、当時の若者は故郷の頚木を離れて、核家族化していくのだ。

大部分の人が故郷に決別し、根っこのないデラシネの人生を選択した。

まさに、国家的漂泊の生き方を余儀なくされたのだ。

だから、誰もが、映画の寅さんに強く共感した。

寅さんの姿に、笑いながらも自らを省みることになる。

そのまま、寅さんの奮闘努力が、自身の現実と二重写しになる。

寅さんへ向ける笑いは、無意識に自らに向けたシニカルな嘲笑にも繋がる。

その笑いには、若干の苦い味もあるのだ。

そして、どこか自分の子供の頃、家族と過ごした故郷への憧憬を、葛飾柴又の帝釈天の門前町に見ることになる。

男はつらいのだ。

やはり、デラシネと化したおじさんたちも、どこかで、心の拠り所を求めている。

それが、盆暮れに寅さん映画を観ることを国民的行事にしたのだろう。

既に、オヤジやオフクロ、兄貴など、血の繋がった近親者を亡くしてしまい、天涯孤独のぐうたら猫のおじさんには、もはや、帰るべき故郷はない。

何となく、映画を観て、根なし草になってしまったおじさんも、束の間、故郷に戻ったような気がして、いやはや、ほっこりした気分になった。

やはり、盆や正月に、寅さんの映画を観るのは大正解なのだ。

  ※ヤフーブログにて 2015年1月11日 アップ

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