故郷と共に生きるか、故郷に背を向けるか 『映画/ニュー・シネマ・パラダイス』より ☆☆☆☆

『映画/ニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版』 
 ※1989年制作 イタリア・フランス映画  監督 ジュゼッペ・トルナトーレ  音楽 エンリコ・モリコーネ


実は、前回、この古本屋で紹介した「兵士と王女の恋」のエビソードは、この『ニュー・シネマ・パラダイス』の中で、映写技師アルフレードが、青年に成長し、恋に悩むトトに話して聴かせた物語だ。

もう1度、繰り返し書けばいいのだが、ぐうたら猫のおじさんゆえ、いささか、2度書くのは面倒くさい。

ピンとこない人は、前回の『7月24日通り』のブログを見て欲しい。

とは言え、『ニュー・シネマ・パラダイス』の物語については、あまりにも名画ゆえ、ご存じの人も多いと思うが、老婆心ながら、サワリのあらすじだけは触れておく。

場所は、南イタリアのシシリアにある小さな街である。

レンガ色の屋根に、真っ白な白壁の家が続く街並み。

その前には、地中海が深いマリンブルーの水をたたえ、どこまでも視界一杯に広がっている。

辺りは穏やかで、のどかな雰囲気に満ちている。

終戦後、間もなくの頃だ。

娯楽と言えば、街に一軒だけある映画館《パラダイス座》で、映画を楽しむことだけだった。

まさに、そこだけは、いつも観客の歓声と熱気で充満していたのだ。

その映画館の映写技師が、頑固者 アルフレードだった。

この街の唯一の映写技師で、10才の頃から、この仕事に就いて以来、ずっと映画に泣き笑いする観客を見続けてきた。

彼は、こよなく映画を愛していたのだ。彼の人生の全てが映画であり、それを上映することだった。

そして、トト(サルヴァトーレ・トト)は、映画が好きで好きでたまらない利発なワルガキだ。

母親の目を盗んでは映画館に通い詰めていた。

2人は、映画の魅力を通じて、親友のような深い愛情で結ばれていく。

実は、トトは、父親が戦地から戻ってこない戦争未亡人の子供だった。

アルフレードは、まるでトトの父親であるかのように、トトに深い愛情を傾けることになる。

やがて、トトは高校生になり、ローマから来た銀行家の娘に激しい恋をする。

彼女は、栗色の髪に大きな目、青い瞳のエレナという輝くばかりの娘だった。

いやもう、生活環境の違い過ぎる無理めの女性だったのだ。

2人は、エレナの父親に反対されながらも激しく愛し合う。

その時、アルフレードがトトに話して聴かせたのが、「兵士と王女の恋」の話しだった。

さらに、アルフレードは予言する。

「瞳がブルーの女とは、決して結ばれない」と…。

しばらくして、両親に厳しく反対されながらも、エレナは、2人の愛は決して変わらぬことを約束して、大学へ入るためにトスカーナへ旅立つ。

同時に、トトにも、軍隊への収集礼状が舞い込み、ローマへ兵役に出ることになる。

1年後に、トトは待望の除隊になる。

故郷に戻るやいなや、すぐさま、エレナと映画館の映写室で再会を約束する。

しかし、そこに、エレナは現れることはなかった。

その後、何度もトトは、彼女と連絡を取ろうとするが、音信は途絶えてしまう。

トトは、失意の中で、「兵士と王女の恋」の話しを思い浮かべ、アルフレードに語りかける。 

……

「兵士が、何故、土壇場で去ったかが分かった。

そうなんだ。

あと1晩で、王女は彼のものになる。

でも、もし、王女が約束を破ったら、兵士には、それこそ救いが無い。

死ぬしかないだろう。

あと1日、99日で止めれば、王女が自分を待っていたと、いつまでも思っていられる」

…… 

そして、それを受けて、アルフレードが言う。 

……

「兵士を見習え、トト。

ここを出ろ。

ここは、不毛の土地だ。

ずっと暮らしていると、自分が世界の中心だと思えてくる。

何一つ、変わりっこないと思い込む。

そんな奴が、1年か、2年、ここを離れて、また、戻ってくると、変わりように驚き、拠り所を失ってしまう。

会いたかった人も見つけられない。

一度出たら、帰って来るな。

何十年も帰るな。

年月を経て戻れば、昔馴染みや故郷に再会できる。」

……  

アルフレードは、トトの映画への才能と情熱に賭けたかった。

いや、信じたかったのだ。

こうして、トトは故郷を捨て、再びローマに戻ることになる。

そして、30年が過ぎ去った。

彼は、ローマで、映画に対する持ち前の情熱と才能により、成功を収め、売れっ子の映画監督になる。

しかし、エレナを失った心の空白は、そうした成功や名声でも埋めることはできなかった。

頭に白髪が混じるようになったトトは、母親から、アルフレードが亡くなったという訃報を受ける。

思い切って、彼の葬式に参列するために、30年ぶりに、故郷シシリアに戻ることを決意するのだ。

今では、彼は、地元でも有名人として名を馳せていたが、その故郷にも彼の心を癒すものはなかった。

それどころか、切なくエレナへの思いが募るばかりだった。

既に、少年の頃の希望だった『パラダイス座』は、取り壊しが決まって朽ち果てた廃屋になっていた。

もはや、故郷は大きく変わり果ててしまっている。

彼は、エレナの幻影を求めて、彼女と愛し合った故郷の思い出の場所をあてどなく辿る。

そして、満たされない心のままに、街のバールで酒をあおっていると、偶然、若い頃のエレナそっくりの娘を見い出すことになる。

その娘は、驚くことに、まさに、エレナの実の娘だったのだ。

こうして、トトは、もはや結婚して2人の子供の母親となったエレナとの再会を果たすことになる。

その時、初めて、彼女から、あの映写室でのすれ違いの残酷な真実を知ることになる。

いやはや、しみじみと人生のアイロニーを感じ、やりきれない溜息が出てしまう結末だ。

いやはや、映画のラスト、試写室で1人、様々な映画のキスシーンを見ながら、涙を流すサルヴァトーレ・トトの頭の中を去来していたものは何だったんだろうか?

おじさん同様、久しぶりに、もう一度、『ニュー・シネマ・パラダイス』をご覧になってはいかがだろうか?

さて、おじさん、思うのだが、この映画を見直しながら、何故か地方の小さな街に暮らすことの悲哀を感じて仕方がなかった。

やはり、故郷は、遠くにありて思うものなのだろうか?

『7月24日通り』の主人公の彼女もそうだったが、故郷には、その幼い時の温かくも切ない感傷と共に、そこから、ともすれば逃げ出したくなるようなプレッシャーと束縛もあるようだ。

今、おじさんが暮らす南河内の山里でも、何となくそうなんだが、故郷という生まれ育った地域の中で、当たり前に暮らしていくことに何の葛藤も感じない人と、強烈にその日常性の頚木から抜け出したいと思う人がいる。

どちらを選択するか、あるいは、選択せざる得なくなるか、それは人それぞれなんだが、おじさんには、故郷と共に生きるか、故郷に背を向けるか、人生の大きな岐路、大切な選択に思えてならない。

おじさん、『7月24日通り』から、さらに、この映画『ニュー・シネマ・パラダイス』を観ながら、ずっと考えてきたが、中々、結論の出せない重たい問題のようだ。

いずれにしろ、どこかの時点で、自らの意思と責任により、人生を賭けた決断をしなければならない。

  ※ヤフーブログにて 2013年10月24日 アップ

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