多才な芸のたしなみを感じる落語家 『CD/桂文枝 落語全集』より ☆☆☆☆

『CD/桂文枝 落語全集』


おじさんの思い込みのクセは、本当にやっかいだ。

早く、治さなければならない。

もう、手遅れかな?トホホ!

取りあえず、素晴らしい落語家なのに、その声がどうも好きではないという理由だけで、オミットしてしまうところだった。

実は、おじさん、この桂文枝さんの声が嫌いだったのである。

そのカン高い声が、どうも性に合わなかった。

だから、落語自体を聞くことなしに、落語を評価していたようだ。

落語好きにも関わらず、この人の落語は、ほとんど聴いていなかった。

ところが、まだ聴いたことのない落語のネタを掘り出したくて、思い切って聴いてみると、さすがに、上方落語 四天王と呼ばれるだけあって、思わず聴き入ってしまったのだ。

長屋のおかみさんものや、遊郭ものなどの話しも、この人ならではのものも多い。

この落語家の芸の力でしか語れないのだ。

おじさん、まさに食わず嫌いだった。

どうも、おじさん、声の好悪で落語家の技量を判断してしまう悪い癖があるようだ。

まあ、桂南光さんについても、この人の声は、落語家に似合わないと思っていた。

これも、おじさんの勝手な思い込みだが、聴いてみると、この方は、どうも当たっていたようだ。

落語で語られる場面が、くっきり、浮き上がってこない。

桂南光さんは、声で損をしている。

落語家の人物の色分けがやりにくい声なのだ。

まあ、それは、ともかく、今回、桂文枝さんの落語を、続けて聴いてみて、やはり、これは名人だなと思った。

桂米朝さんが人間国宝なら、桂文枝さんは、さしずめ、重要文化財と言うところだろう。

片手落ちだなと思う。

早く、逝かれたのが、本当に惜しい。

おじさん、生で聴いておくべきだったと後悔している。

吉本興業所属が、本当の芸を埋没させてしまう。

良くないよな、この会社は。

金儲け優先で、本当の芸人を育てない。

まあ、このことは置いておいて、おじさん、この人の落語の持ち味は、落語の下地としてある、多彩な芸のたしなみだろう。

謡いや踊りの素養が、落語に、何とも言えない、しんなりとした情緒を与えているのだ。

落語を離れても、それらの芸は、相当なものだろう。

だから、いつの間にか、語られる落語に夢中になっていると、落語が語られている当時そのものに入り込んでいる自分を知るのだ。

特に、色里ものが良い。

大店の道楽息子が、遊技と戯れる場面などは、本当に、目の前に、大阪の新町や梅田新地の色里のお茶屋遊びが、時を超えて現出したように思えてしまう。

まるで、芸子の謡や、三味線、太鼓の音が、耳の奥底に立ち登ってくるようだ。

いやはや、『たちぎれ線香』などの話しを聴けば、ホント、そのしんみりとした情感は、話術の力を感じさせる。

この人は、晩年でも、大ネタになると、額に汗を流して熱演したと言う。

ひどく、まじめで研究心旺盛の精進の落語家だったのだろう。

おじさん、ただ、とても断念なのは、この師匠から、本格的な桂文枝を継承する落語家が生まれなかったことだ。

むろん、桂三枝、きん枝、文鎮などがいるが、いずれも、人気者にはなったが、師匠の本格的な落語の本質を引き継いではいない。

師匠の心、弟子知らずというところか?

今のところ、桂文枝を継ぐ人材が見当たらない。

もう、今の人には、この人の語り口の持つ情緒は継承できないかもしれない。

これは、時代の流れなのか?

ともかく、仕方なくも、残念なことだ。

  ※ヤフーブログにて 2012年6月16日 アップ

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