追記です 『天皇と東大』より
『天皇と東大』 著者 立花 隆
今回、『天皇と東大』について、追記を書かせていただきたい。
この本を読んで、重要なことを感じたので、是非、また、書きとめたいと思い立ったのである。
それは、一部の独断的な人たちの集まりである軍部が、日本を悲惨な戦争へと追いやったのではないということある。
ずばり、天皇制と言う国体イデオロギーの元、気が狂った国民全体が突き進んだからだと言えるのである。
一部ではなく、全体なのだ。
それが、本質である。
戦前、ファシストはどこにでも居たのである。
そうだな、国民の9割以上がファシストだったのだろう。
どうして、このような国民が、戦後、この戦争責任をとれようか?
一億総懺悔と言う言葉にごまかされ、戦争への責任をあいまいにした。
だから、天皇制は残ったのである。
と言うより、国民は、天皇を糾弾することができなかったのである。
自ら、戦争責任を潔く認めることを避けていたのだから…
自分達の親父やお袋の生き方はしたたかだ。
戦前、確かに、鬼畜米英を叫び、提灯行列の提灯を持ったのである。
若き息子に、学徒出陣で、特攻へ送り出したのである。
そう、一億総狂気だったのだ。
終戦は、その狂気の夢から覚めた方針であり、むなしさや虚脱感で、充満していた。
また、それは、悲しみの目覚めと言うより、狂気だった夢から覚醒したかった人間からにじみ出てくる、後味の悪い汗ばむような安堵の目覚めなのである。
目覚めた汗ばんだ身体には、悪臭が漂っている。
これから、この世代が少なくなる中で、この酷薄な悪臭を忘れてはならないし、後の世代は、この汗をどこかに洗い流さなければならない。
※ヤフーブログにて 2009年8月25日 アップ
今回、『天皇と東大』について、追記を書かせていただきたい。
この本を読んで、重要なことを感じたので、是非、また、書きとめたいと思い立ったのである。
それは、一部の独断的な人たちの集まりである軍部が、日本を悲惨な戦争へと追いやったのではないということある。
ずばり、天皇制と言う国体イデオロギーの元、気が狂った国民全体が突き進んだからだと言えるのである。
一部ではなく、全体なのだ。
それが、本質である。
戦前、ファシストはどこにでも居たのである。
そうだな、国民の9割以上がファシストだったのだろう。
どうして、このような国民が、戦後、この戦争責任をとれようか?
一億総懺悔と言う言葉にごまかされ、戦争への責任をあいまいにした。
だから、天皇制は残ったのである。
と言うより、国民は、天皇を糾弾することができなかったのである。
自ら、戦争責任を潔く認めることを避けていたのだから…
自分達の親父やお袋の生き方はしたたかだ。
戦前、確かに、鬼畜米英を叫び、提灯行列の提灯を持ったのである。
若き息子に、学徒出陣で、特攻へ送り出したのである。
そう、一億総狂気だったのだ。
終戦は、その狂気の夢から覚めた方針であり、むなしさや虚脱感で、充満していた。
また、それは、悲しみの目覚めと言うより、狂気だった夢から覚醒したかった人間からにじみ出てくる、後味の悪い汗ばむような安堵の目覚めなのである。
目覚めた汗ばんだ身体には、悪臭が漂っている。
これから、この世代が少なくなる中で、この酷薄な悪臭を忘れてはならないし、後の世代は、この汗をどこかに洗い流さなければならない。
※ヤフーブログにて 2009年8月25日 アップ
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