最後に渋く花開いた落語家 『CD/ビクター落語 八代目 三笑亭可楽 ①~⑤』より ☆に関係なし

『CD/ビクター落語 八代目 三笑亭可楽 ①~⑤』


いやまあ、今年の古本屋のおじさんのテーマは、《味わうおじさん》ということだった。

で、最も味わうことに相応しい落語家と言ったら誰だろうかと考えた。

味わうのだから、当然、練りに練られた芸に支えられた名人でなければならない。

と言うことは、どうも、ごく最近の落語家は外した方が良いだろう。

もう少し、時代を遡った方が良い。

また、上方落語も、味わうと言うような落ちついた雰囲気とは、いささか、かけ離れているような気がする。

やはり、江戸前の人情噺を語る人が良い。

きっと、そうなれば、三遊亭圓生さんや古今亭志ん生さん、桂文楽さん、柳家小さんさん、三遊亭金馬さんなどはどうだろうか?

もちろん、それら、落語家さんたちは、落語を味わうに足る、押しも押されぬ名人たちで、噛めば噛むほど味が出てくる。

何度も繰り返し、聴けば聴く程、その名人芸に唸ってしまう。

芸術性も高い。

ところが、おじさん、味わうと言うことがキーワードになるなら、それら、誰もが認める正統派の名人より、何となく、どん底から這い上がってきて、やっとの思いで、世の中で名人として認められた人の方が相応しいような気がする。

落語以外に、人生の辛酸を舐めた人で、何と言うか、生きることの苦い味わいも一緒に感じさせるような落語家さんだ。

若い頃は、ずっと不遇で、晩年に花が開いた落語家、そんな名人が、当時の名人と呼ばれた人たちの中に、いなかっただろうかと思う。

だが、不遇と言えば、結局、多くの落語家が、華々しく世間に認められないままに、落語家としての人生を閉じてしまう。

いやまあ、考えてみれば、不遇な人の方が多い訳だ。

だから、そこはそこ、最後には、渋く花開いた人でなければいけない。

とにもかくにも、そんなことを考えながら、おじさん、古本屋の棚から、八代目 三笑亭可楽さんのCDを選び出したのだ。

普段は、あまり聴くことのない落語家だ。

そして、CD5枚、噺の演目にして、締めて10題、じっくりと聴き続けた。

まあ、深く味わったと言うことになろうか? 

いやはや、聴くところによれば、この落語家は、東京で表具屋の跡取りとして生まれたが、古今亭志ん生さんが酒とバクチで、気軽に遊び暮らしているのに感化されて、落語の道に入ったと言う。

まあ、あまり、落語家への志望動機はよろしくない。

根が大酒飲みで、遊び好きだ。

生まれながらにぐうたら思考、この辺は、今のおじさんと一緒だ。アハハ! 

これなら、ひょっとして、落語家よりも、太鼓持ち、いわゆる、幇間(※ほうかん/主席の座を持たせる職業)の方が向いていたかもしれない。

よく落語に登場してくる、一八(※いっぱち)を地で行くような人でなかったか?

実際、『うなぎの幇間(たいこ)』などの幇間噺が得意だったと言う。

きっと、性格的には、あの噺に登場してくる一八のような性格の人だったような気がする。

そんなことだから、落語の腕はあっても、中々、芽が出ない。

どこか、飄々として、他の名人たちのように、落語に全ての精力を注ぎ込むようなことはない。

何しろ、この人にとっては、落語は思いのままに気ままに暮らすための、ある種、道具だったからだ。

オマケに、若干、世の中に対して、斜(※はす)に構えた所があるから、ついつい、口さがなく、落語界に対して、不平不満をこぼしたり、あるいは、やっかみもあるのだろうか、師匠たちに対する批判もよく口にしたと言う。

もちろん、そんな人物は、周囲の人間から到底好かれないのは当たり前だ。

引き立ててやろうという、後ろ盾になる師師匠たちも少なかったのだろう。

そのせいで、可愛気がないから、昇進も遅れる。

高座での、どこか、投げやりな態度も、お客さんに見透かされるのか、落語は玄人好みなのだが、どうも正当な評価を受けにくい。

下積みが続く。

つい、不満が募って、所属していた一門を飛び出し、別な師匠に付く。

しかし、人間そのものの本質が変わる訳がないから、どこに行っても、うまく行きようがない。

また、飛び出して、別な一門で、名前を変える。

こんなことを繰り返し、挙句、紆余曲折の末、最後に辿りついたのが、この三笑亭可楽と言う、大名跡の名前を引き継ぐことだった。

人生と言うものは、何かのはずみで、さっと様相を変えることがある。

さすが、大名跡の名前には伝統が培った不可思議なパワーが宿っていたのだろう。

晩年、この名跡を引き継いでからは、年齢的にも横並びだけに、他の圓生さん、志ん生さん、文楽さんと同格に引き上げられ、一躍、日の当たる場所で注目を浴びることになった。

いやまあ、そんなことで、おじさん、この三笑亭可楽さんの落語を続けざまに味わってみたのだ。

一言で言えば、軽妙な味だった。

肩に力の入る熱演でもない。

どちらかと言えば、身ぶりも、話すトーンもいささか舌足らずの控えめで、テンションも低い。

語り口は、春風亭柳橋さんを思わせる所もある。

どこか、「聴きたいなら聴いたらいい。聴きたくなければ、何も、敢えて聴いてもらわなくてもいい。」と言う、お客さんを、ともすれば突き放し、肩透かしをくわせるような雰囲気がある。

そう言う意味では、お客さんに阿ることもないし、あえて、迎合するようなこともない。

特段の落語家にありがちな「よいしょ」の精神も少ない。落語を始めるマクラも愛想がなく、決まりきったものだ。

噺にも、毎度、変化は少なく、臨機応変さもない。

実際に、得意の『らくだ』、『芝浜』など、1時間を優に超える大ネタでも、手短かに噺をはしょってしまい、さっさと高座を降りることも多かったと言う。

やはり、根っこは、幇間(たいこ)の「一八さん」なのだ。

名人になってからは、媚びることのない、このお客さんとの絶妙な距離感で、相変わらず、淡々と高座を務めていたようだ。

まあ、玄人好みのお客さんには、落語家にありがちな余分なサービス精神が鼻につかない分、特定のごひいきに浴したようだ。

いわゆる、好きなお客さんは好きだが、そうでないお客さんには生意気だと言う、あまりよろしくない感情を持たれる懸念があった。

しかし、晩年は、大名跡を継いだこともあり、さらに、落語界の名だたる名人たちと並び称され、自身も年齢を重ねて、適当に角も取れてきたのか、それらが相まって、他の落語家には見られない独特の成熟した味わいが醸し出されるようになってきた。

いやはや、この落語家さんは、やはり、周囲を唸らせるような、天賦の芸の魅力は感じさせないが、どこか、繰り返し、高座を聴いていれば、何か、人生の哀歓のようなものを、ふと感じさせることがある。

そして、そんな哀感を、さらりと投げ捨てて、オレはオレの人生だ、何が悪いと、その落語を演じる姿全体から訴えかけてくるような気がする。

いやはや、これも、ある意味、江戸っ子の遊び人カタギなのかもしれない。

我が道を行く、《達観の落語家》と言うべき人なのだろう。

そう、山椒は、〔三笑〕亭小粒でピリリと辛く〔可楽〕…。

なるほど、この人は、三笑亭可楽と言う名跡を引き継ぐに相応しい人だと、いやもう、合点した。

まさに、『うなぎの幇間』には、山椒の味わいがピッタリくる。

おあとがよろしいようで。

  ※ヤフーブログにて 2016年10月17日 アップ

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