懐かしき名コンビの米国映画 『映画/スティング』より ☆に関係なし
『映画/スティング』
※米国映画 1973年 制作 監督 ジョージ・ロイ・ヒル 主演 ポール・ニューマン ロバート・レッドフォード
おじさんたちの青春の頃に製作された、米国でのゴールデンコンビの映画だ。
文句なく楽しめる一級のエンターティメントだと思う。
いやもう、何度観ても楽しい。
既に、ロバート・レッドフォードとポール・ニューマンの共演は、この映画の10年ほど前に、ニューシネマの代表作『明日に向って撃て!』のフィルムで実現していた。
西部開拓時代、列車強盗のアウトロー2人組を演じた2人だが、それに、キャサリン・ロスが加わり、当時、まだ若々しい3人が、あの軽快な音楽に乗せて、イノセントに戯れるシーンが、何となく爽やかで、新しい時代の感性を感じさせた。
おじさん、今でも、あの2人乗りの自転車のシーンが記憶に鮮やかだ。
まさに、これまでの映画のアンチヒーローがヒーローになった瞬間だった。
いやまあ、昨年は、高倉健さん、菅原文太さんと、戦後の日本映画の一時代を築き上げた映画俳優たちが相次いで亡くなった。
誠に残念だ。
この2人は、若い頃、任侠映画で、スターの地位を築いた。
米国では、ロバート・レッドフォードとポール・ニューマンは、ギャング映画でスターダムにのし上がった。
奇しくも、共に、反社会に生きるアウトローたちを演じている。
それまでの西部劇の勧善懲悪から抜け出し、彼らが演じたアウトローも、同じ、おじさんたちと変わらない人間なんだと言う当たり前のことが、映画でも初めて認識されるようになったのだ。
おじさん、当時の日米における新しいスターの誕生に、何となく、妙な時代の符合を感じて仕方がない。
まあ、それはともかく、この2人は、米国映画に、新しい感性の息吹を吹き込んだニュータイプの俳優だった。
この2人に、スティーブ・マックイーンを加えれば、止めを刺す。
何はともあれ、2人について、おじさんの記憶を手繰ってみよう。
まず、ロバート・レッドフォードについてだ。
いつも考えてしまう。
もし、おじさんが、レッドフォードと同じ容姿、容貌を持って生まれていたら、どんな人生を過ごすことになったのだろうか? エヘヘ!
単に、女性にもてたとか、そんなことではない。
これだけ完璧なイケ面なら、容貌が大きく人生に影響を与えてしまうに違いない。
レッドフォードの主演映画と言えば、何と言っても、『華麗なるギャッツビー』を外すことはできないだろう。
もちろん、フィッツジェラルドの小説を映画化したものだ。
ずっと前に、この古本屋でも、村上春樹さんが新たに翻訳したものをお奨めしたことがある。
まさに、レッドフォードなら、その華麗な振る舞いが、嫌味なく似合う、全くのはまり役だと言えるだろう。
ところで、おじさん、どういう訳か、ずっと後で製作されたのだが、この映画の二番煎じのような『幸福の条件』という映画が、妙に印象に残っている。
あの魅惑的な女性デミ・ムーアとの共演が話題になった作品だ。
しかし、公開当時は、悪評紛々たるものだった。
おじさんには、あんな役柄は、レッドフォード以外、大真面目に誰も演じることができないと思ってしまう。
逆説的だが、それだけでも、この映画に主演したレッドフォードは偉いと思った。
ストーリーの方は、かなり記憶が曖昧になっている。
大体、こんなことだったのではないか?
デミ・ムーアが貞淑な妻を演じる、ある夫婦が、自分たちの手作りで、マイホームを建て始める。
ところが、完成半ば、主人が病気になり、建築が中断してしまう。
いやもう、借金のため、家まで取られかねない。
だが、その美貌の妻に心を寄せる億万長者の幼馴染がいた。
彼の提案はこうだ。
2人で一晩豪華船上で過ごすことができれば、百万ドルを援助すると言うのだ。
むろん、その人妻を誘惑する億万長者を演じるのが、レッドフォードの役柄だ。
ムーアは、悩んだ挙句、その豪華船に、逡巡しながらも出向くことになる。
その船上での、めくるめくラグジュアリーな一夜に、ムーアの心は激しく揺れることになる。
まあ、こんな不自然で、いささか、くさいストーリーだから、映画の評判が悪いのは当然だ。
まさに、レッドフォードでなければ、臆面もなく演じられない役柄だろう。
それを演じるレッドフォードが、鼻持ちならない嫌味なキザ男に見えてくるのも仕方がない。
とは言え、おじさんは、そんなことは百も承知で、こうした役どころの映画の主演を受けたレッドフォードは偉いと思わざる得ない。
やはり、どうあろうと、イケ面スターの生き様に徹しているのだ。
おじさんの老婆心ながら、完璧なイケ面男のレッドフォードにも、唯一の瑕疵はある。
彼は、肌が汚い。
ベッドシーンなどで、彼の背中が映し出されると、それは、まるで、日焼け後のシミ、ソバカスだらけの肌のように見える。
オマケに、そこに、ブロンドのうぶ毛がびっしりと密生している。
これは、男くさい魅力と言うこともできるが、日本人の感覚では、ワイルド過ぎる。
米国人はどう思うのだろうか?、
日本人なら、「チョットなあ」と引いてしまう。
いやあ、ひがみに聞こえる話しはこれくらいにして、ポール・ニューマンの方に話を移そう。
ニューマンと言えば、もちろん思い出す映画は、『ハスラー』だ。
ビリヤードのプロたちの生き様を描いている映画である。
どうしても、ポール・ニューマンには、勝負師のイメージが付きまとう。
この『スティング』でも、列車で行われるカジノで、ギャングのボスとポーカーで渡り合うシーンが描かれている。
あの落ち着き払った大人の風貌に、時折見せる茶目っ気が、おじさんたちに、何とも心憎い男だと思わせてしまう。
若者なら、年齢を重ねれば、こんな男になりたいと憧れるのではないか?
レッドフォードが女性にちやほやされるなら、ポール・ニューマンは、男に憧れを感じさせるのだ。
この『ハスラー』が公開されたのは、1962年だから、随分古い。
おじさんたちが、『ハスラー』を意識したのは、それから、ざっと20年以上遡る。
この映画の続編を、『ハスラー2』として、トム・クルーズが演じている。
まさに日本は、バブルが始まろうとする時代だった。
おじさんたちが、ビリヤードを楽しんだのは、大衆娯楽と言う言葉が似合う、昔ながらのいわゆる撞球場ではなく、お酒を飲む場だった。
バブルの頃は、いたる所にビリヤード台を備えた、オシャレなカウンターバーが多く出現した。
心斎橋の鰻谷に、「タバック」という店があった。
一時、おじさんたちのアフターファイブのたまり場になっていた。
いやあ、懐かしい。
当時、それらの店は、プールバーと呼ばれていた。
むろん、今では、当たり前に、そう呼ばれている。
概ね、カウンターバーで、カクテルを飲みながら、ビリヤードに興じるのだ。
ゲームは、ローテーションでなく、ナインゲームが中心だ。
お酒にそれ程強くないおじさんなど、アルコールが入って、ビリヤードどころではない。
それでも、当時は、ハスラー気分で、その大人びた雰囲気を楽しんだものだ。
今から考えると滑稽だ。
それは、そのまま、ポール・ニューマンの渋いカッコ良さに繋がるのだと自己陶酔していたのだろう。トホホ!
どうも、ポール・ニューマンは、おじさんたちにとって、大人の男の魅力のお手本だったようだ。
いやあ、こんな2人が、『明日に向って撃て!』以来、再び共演したのが、この映画だ。
やはり、相性が良い。
名コンビだ。
当時のアカデミー賞の各部門を総なめにしたのも頷ける。
映画の舞台は、戦前の大恐慌後、世の中が荒んでしまっていた1930年代、シカゴの郊外の小さな町でのことだ。
ある時、レッドフォード演じる若い詐欺師が、彼の詐欺の指南役である老練な詐欺師と組み、路上でのひったくり詐欺を仕掛ける。
詐欺はまんまと上手くいき、その男が持っていた大金を騙し取ることに成功する。
ところが、その男は、カジノの上がり金をボスに届ける運び屋だったのだ。
そのカジノは、当時、シカゴ周辺を牛耳ていたマフィアの大ボスが経営していた。
ボスは、怒り狂い、2人へ、凄腕の殺し屋を差し向ける。
何とか、レッドフォードは逃げおおせたが、無残にも、相棒は殺害されてしまう。
そのリベンジを果たすため、レッドフォードは、相棒の友人だった伝説の詐欺師に私怨を要請する。
リベンジのため、その伝説の詐欺師と組み、マフィアの大ボスを騙し、大金を巻き上げようという計画だ。
と言うことで、至上最大の大掛りな詐欺が仕掛けられる。
何しろ、架空の有線競馬場のセットまで、俄かに作ってしまうのだ。
無論、こうした競馬場は、当時でもノミ行為である。
今、イメージすれば、不法な場外馬券場である。
まあ、これ以上映画のストーリーを書き連ねるのは、野暮というものだろう。
いやあ、あらすじを辿っていると、おじさん、思い出したことがある。
おじさんが、最初に勤めた広告代理店では、この映画の詐欺まがいの仕掛けを、クライアント相手に平気でやっていた。
今でも広告代理店というのは、その手口がより複雑化しているとは言え、同じようなものだろう。
おじさんの若い頃の流通業は勃興期だった。
ダイエーやイトーヨーカドー、ニチイなどが、今では当たり前になったセルフ販売を武器に、まさに、日の出の勢いだった。
間もなく、百貨店の売上げに手が届き、凌駕しようとしていた。
とは言え、マスメディアの世界においては、これからテレビCMにも取り組んでみようかという時期だった。
おじさんの所属していた代理店では、マスメディアの利用については、まだまだウブな、流通業の広告担当者を詐欺まがいの手口で、手玉に取って、受注に繋げていた。
チト言い過ぎたかな、エヘヘ!
とにかく、自社に、CM撮影のスタジオもないのに、さも独自の専用スタジオがあるかのように見せかけ、担当者をCM撮影の現場に誘い込んだりする。
実は、そのスタジオは、数日前に、突貫工事で、木材パネルを周りに張り巡らせ、そこにそれらしい撮影機材を持ち込んだ、普段は会議室だったスペースを、スタジオに仕立て上げたものだ。
いやまあ、豊臣秀吉の有名な「墨俣の一夜城」のようなものである。
あっと言う間に、ハリボテのダミー・スタジオを仕立て上げ、そこに、ギャラの安いタレントを手配し、撮影らしき雰囲気を作り上げれば、充分に俄かスタジオに見える。
この場合は、まあ、かなり大がかりなハッタリだが、大風呂敷は代理店の常だ。
結構えぐいことまでやっていたのだ。
おじさん、今も、この体質は変わっていないと思う。
それはさておき、映画の方だ。
映画では、架空の有線競馬場に、マフィアのボスを誘い込み、当たり馬を教えると騙して、莫大な掛け金を掛けさせると言う詐欺の遣り口だ。
おじさん、面白く思ったのは、考えてみれば、映画のスタジオ自体が、壮大な架空の世界を作り上げる、観客に対する詐欺の現場だと言えなくもない。
映画は、おじさんたちを、あたかもそれが現実であるかのようなイルージョンの世界に誘い込み、束の間ではあるが、荒唐無稽な物語を信じ込ませる。
ハリウッドは、公認の詐欺師たちの巣窟なのだ。
その詐欺が巧妙であればある程、それは名画と言うことになる。
名優とは、如何に巧みに詐欺を演じきることができるかにかかっている。
すなわち、それが、稀代の詐欺師だ。アハハ!
この映画『スティング』では、その詐欺の撮影現場に、さらに詐欺の舞台となる有線競馬場と言うセットが作られる。
映画と言う、元来、詐欺の物語の中で、さらに詐欺をするという、いやはや、ややこしいことになる。
あの『マスク』のジム・キャリーが出演した『トゥールマン・ショー』という映画があるが、これは、まさに、ややこしさの極みと言える。
観られた人も多いだろうから、ここでは、詳しくは書かない。
こう考えれば、何かおじさん、世の中自体が、実は、大きなロシアの入れ子人形のような気がして、何となく、可笑しくも奇妙な気分になってきた。
まあ、とにかく、この作品、コミカルなタッチで描かれた、一見、キャスト優先の軽い内容とも取れるが、中々、奥が深いのだ。
この映画は、先に書いたように、大恐慌と大戦の狭間、ロストジェネレーション時代の荒廃したシカゴの郊外が舞台となっている。
おじさん、この壮大な映画と言う詐欺の舞台作りとして、あるカポネをはじめとしたギャングが跳梁跋扈した禁酒時代の雰囲気が、如何にも米国らしくて好きだ。
本当に、ハリウッドに俄かに作られたハリボテセットかも知れないが、眺めているだけで楽しいのだ。
映画のバックグランドだけで、充分、元は取ったと言う感じだ。
舞台はニューヨークに移るが、同時代の『ワンス・アポン・ア・タイム』や『コットンクラブ』などの映画もそうだろう。
本当にストーリーそっちのけで、おじさん、そのセットにも見入ってしまうのだ。
いやあ、それだけで楽しい。
日本の1950年代の景色を描き出して話題になった『三丁目の夕陽』なども、懐かしい情景を鮮やかに再現したセットや特撮が売りである。
その頃、子供時代を過ごした、おじさんなど、ジュワと目尻に涙が滲んでくる。
いやあ、郷愁で胸が一杯になる。
まあ、『スティング』は、ロバート・レッドフォード、ポール・ニューマンの2人の名優の洒脱な演技振りも見ものだが、また、この時代を精妙に再現した街並みやファッション、暮らし振りなどの時代的空気を鑑賞するのも一興だと思う。
※ヤフーブログにて 2015年3月7日 アップ
※米国映画 1973年 制作 監督 ジョージ・ロイ・ヒル 主演 ポール・ニューマン ロバート・レッドフォード
おじさんたちの青春の頃に製作された、米国でのゴールデンコンビの映画だ。
文句なく楽しめる一級のエンターティメントだと思う。
いやもう、何度観ても楽しい。
既に、ロバート・レッドフォードとポール・ニューマンの共演は、この映画の10年ほど前に、ニューシネマの代表作『明日に向って撃て!』のフィルムで実現していた。
西部開拓時代、列車強盗のアウトロー2人組を演じた2人だが、それに、キャサリン・ロスが加わり、当時、まだ若々しい3人が、あの軽快な音楽に乗せて、イノセントに戯れるシーンが、何となく爽やかで、新しい時代の感性を感じさせた。
おじさん、今でも、あの2人乗りの自転車のシーンが記憶に鮮やかだ。
まさに、これまでの映画のアンチヒーローがヒーローになった瞬間だった。
いやまあ、昨年は、高倉健さん、菅原文太さんと、戦後の日本映画の一時代を築き上げた映画俳優たちが相次いで亡くなった。
誠に残念だ。
この2人は、若い頃、任侠映画で、スターの地位を築いた。
米国では、ロバート・レッドフォードとポール・ニューマンは、ギャング映画でスターダムにのし上がった。
奇しくも、共に、反社会に生きるアウトローたちを演じている。
それまでの西部劇の勧善懲悪から抜け出し、彼らが演じたアウトローも、同じ、おじさんたちと変わらない人間なんだと言う当たり前のことが、映画でも初めて認識されるようになったのだ。
おじさん、当時の日米における新しいスターの誕生に、何となく、妙な時代の符合を感じて仕方がない。
まあ、それはともかく、この2人は、米国映画に、新しい感性の息吹を吹き込んだニュータイプの俳優だった。
この2人に、スティーブ・マックイーンを加えれば、止めを刺す。
何はともあれ、2人について、おじさんの記憶を手繰ってみよう。
まず、ロバート・レッドフォードについてだ。
いつも考えてしまう。
もし、おじさんが、レッドフォードと同じ容姿、容貌を持って生まれていたら、どんな人生を過ごすことになったのだろうか? エヘヘ!
単に、女性にもてたとか、そんなことではない。
これだけ完璧なイケ面なら、容貌が大きく人生に影響を与えてしまうに違いない。
レッドフォードの主演映画と言えば、何と言っても、『華麗なるギャッツビー』を外すことはできないだろう。
もちろん、フィッツジェラルドの小説を映画化したものだ。
ずっと前に、この古本屋でも、村上春樹さんが新たに翻訳したものをお奨めしたことがある。
まさに、レッドフォードなら、その華麗な振る舞いが、嫌味なく似合う、全くのはまり役だと言えるだろう。
ところで、おじさん、どういう訳か、ずっと後で製作されたのだが、この映画の二番煎じのような『幸福の条件』という映画が、妙に印象に残っている。
あの魅惑的な女性デミ・ムーアとの共演が話題になった作品だ。
しかし、公開当時は、悪評紛々たるものだった。
おじさんには、あんな役柄は、レッドフォード以外、大真面目に誰も演じることができないと思ってしまう。
逆説的だが、それだけでも、この映画に主演したレッドフォードは偉いと思った。
ストーリーの方は、かなり記憶が曖昧になっている。
大体、こんなことだったのではないか?
デミ・ムーアが貞淑な妻を演じる、ある夫婦が、自分たちの手作りで、マイホームを建て始める。
ところが、完成半ば、主人が病気になり、建築が中断してしまう。
いやもう、借金のため、家まで取られかねない。
だが、その美貌の妻に心を寄せる億万長者の幼馴染がいた。
彼の提案はこうだ。
2人で一晩豪華船上で過ごすことができれば、百万ドルを援助すると言うのだ。
むろん、その人妻を誘惑する億万長者を演じるのが、レッドフォードの役柄だ。
ムーアは、悩んだ挙句、その豪華船に、逡巡しながらも出向くことになる。
その船上での、めくるめくラグジュアリーな一夜に、ムーアの心は激しく揺れることになる。
まあ、こんな不自然で、いささか、くさいストーリーだから、映画の評判が悪いのは当然だ。
まさに、レッドフォードでなければ、臆面もなく演じられない役柄だろう。
それを演じるレッドフォードが、鼻持ちならない嫌味なキザ男に見えてくるのも仕方がない。
とは言え、おじさんは、そんなことは百も承知で、こうした役どころの映画の主演を受けたレッドフォードは偉いと思わざる得ない。
やはり、どうあろうと、イケ面スターの生き様に徹しているのだ。
おじさんの老婆心ながら、完璧なイケ面男のレッドフォードにも、唯一の瑕疵はある。
彼は、肌が汚い。
ベッドシーンなどで、彼の背中が映し出されると、それは、まるで、日焼け後のシミ、ソバカスだらけの肌のように見える。
オマケに、そこに、ブロンドのうぶ毛がびっしりと密生している。
これは、男くさい魅力と言うこともできるが、日本人の感覚では、ワイルド過ぎる。
米国人はどう思うのだろうか?、
日本人なら、「チョットなあ」と引いてしまう。
いやあ、ひがみに聞こえる話しはこれくらいにして、ポール・ニューマンの方に話を移そう。
ニューマンと言えば、もちろん思い出す映画は、『ハスラー』だ。
ビリヤードのプロたちの生き様を描いている映画である。
どうしても、ポール・ニューマンには、勝負師のイメージが付きまとう。
この『スティング』でも、列車で行われるカジノで、ギャングのボスとポーカーで渡り合うシーンが描かれている。
あの落ち着き払った大人の風貌に、時折見せる茶目っ気が、おじさんたちに、何とも心憎い男だと思わせてしまう。
若者なら、年齢を重ねれば、こんな男になりたいと憧れるのではないか?
レッドフォードが女性にちやほやされるなら、ポール・ニューマンは、男に憧れを感じさせるのだ。
この『ハスラー』が公開されたのは、1962年だから、随分古い。
おじさんたちが、『ハスラー』を意識したのは、それから、ざっと20年以上遡る。
この映画の続編を、『ハスラー2』として、トム・クルーズが演じている。
まさに日本は、バブルが始まろうとする時代だった。
おじさんたちが、ビリヤードを楽しんだのは、大衆娯楽と言う言葉が似合う、昔ながらのいわゆる撞球場ではなく、お酒を飲む場だった。
バブルの頃は、いたる所にビリヤード台を備えた、オシャレなカウンターバーが多く出現した。
心斎橋の鰻谷に、「タバック」という店があった。
一時、おじさんたちのアフターファイブのたまり場になっていた。
いやあ、懐かしい。
当時、それらの店は、プールバーと呼ばれていた。
むろん、今では、当たり前に、そう呼ばれている。
概ね、カウンターバーで、カクテルを飲みながら、ビリヤードに興じるのだ。
ゲームは、ローテーションでなく、ナインゲームが中心だ。
お酒にそれ程強くないおじさんなど、アルコールが入って、ビリヤードどころではない。
それでも、当時は、ハスラー気分で、その大人びた雰囲気を楽しんだものだ。
今から考えると滑稽だ。
それは、そのまま、ポール・ニューマンの渋いカッコ良さに繋がるのだと自己陶酔していたのだろう。トホホ!
どうも、ポール・ニューマンは、おじさんたちにとって、大人の男の魅力のお手本だったようだ。
いやあ、こんな2人が、『明日に向って撃て!』以来、再び共演したのが、この映画だ。
やはり、相性が良い。
名コンビだ。
当時のアカデミー賞の各部門を総なめにしたのも頷ける。
映画の舞台は、戦前の大恐慌後、世の中が荒んでしまっていた1930年代、シカゴの郊外の小さな町でのことだ。
ある時、レッドフォード演じる若い詐欺師が、彼の詐欺の指南役である老練な詐欺師と組み、路上でのひったくり詐欺を仕掛ける。
詐欺はまんまと上手くいき、その男が持っていた大金を騙し取ることに成功する。
ところが、その男は、カジノの上がり金をボスに届ける運び屋だったのだ。
そのカジノは、当時、シカゴ周辺を牛耳ていたマフィアの大ボスが経営していた。
ボスは、怒り狂い、2人へ、凄腕の殺し屋を差し向ける。
何とか、レッドフォードは逃げおおせたが、無残にも、相棒は殺害されてしまう。
そのリベンジを果たすため、レッドフォードは、相棒の友人だった伝説の詐欺師に私怨を要請する。
リベンジのため、その伝説の詐欺師と組み、マフィアの大ボスを騙し、大金を巻き上げようという計画だ。
と言うことで、至上最大の大掛りな詐欺が仕掛けられる。
何しろ、架空の有線競馬場のセットまで、俄かに作ってしまうのだ。
無論、こうした競馬場は、当時でもノミ行為である。
今、イメージすれば、不法な場外馬券場である。
まあ、これ以上映画のストーリーを書き連ねるのは、野暮というものだろう。
いやあ、あらすじを辿っていると、おじさん、思い出したことがある。
おじさんが、最初に勤めた広告代理店では、この映画の詐欺まがいの仕掛けを、クライアント相手に平気でやっていた。
今でも広告代理店というのは、その手口がより複雑化しているとは言え、同じようなものだろう。
おじさんの若い頃の流通業は勃興期だった。
ダイエーやイトーヨーカドー、ニチイなどが、今では当たり前になったセルフ販売を武器に、まさに、日の出の勢いだった。
間もなく、百貨店の売上げに手が届き、凌駕しようとしていた。
とは言え、マスメディアの世界においては、これからテレビCMにも取り組んでみようかという時期だった。
おじさんの所属していた代理店では、マスメディアの利用については、まだまだウブな、流通業の広告担当者を詐欺まがいの手口で、手玉に取って、受注に繋げていた。
チト言い過ぎたかな、エヘヘ!
とにかく、自社に、CM撮影のスタジオもないのに、さも独自の専用スタジオがあるかのように見せかけ、担当者をCM撮影の現場に誘い込んだりする。
実は、そのスタジオは、数日前に、突貫工事で、木材パネルを周りに張り巡らせ、そこにそれらしい撮影機材を持ち込んだ、普段は会議室だったスペースを、スタジオに仕立て上げたものだ。
いやまあ、豊臣秀吉の有名な「墨俣の一夜城」のようなものである。
あっと言う間に、ハリボテのダミー・スタジオを仕立て上げ、そこに、ギャラの安いタレントを手配し、撮影らしき雰囲気を作り上げれば、充分に俄かスタジオに見える。
この場合は、まあ、かなり大がかりなハッタリだが、大風呂敷は代理店の常だ。
結構えぐいことまでやっていたのだ。
おじさん、今も、この体質は変わっていないと思う。
それはさておき、映画の方だ。
映画では、架空の有線競馬場に、マフィアのボスを誘い込み、当たり馬を教えると騙して、莫大な掛け金を掛けさせると言う詐欺の遣り口だ。
おじさん、面白く思ったのは、考えてみれば、映画のスタジオ自体が、壮大な架空の世界を作り上げる、観客に対する詐欺の現場だと言えなくもない。
映画は、おじさんたちを、あたかもそれが現実であるかのようなイルージョンの世界に誘い込み、束の間ではあるが、荒唐無稽な物語を信じ込ませる。
ハリウッドは、公認の詐欺師たちの巣窟なのだ。
その詐欺が巧妙であればある程、それは名画と言うことになる。
名優とは、如何に巧みに詐欺を演じきることができるかにかかっている。
すなわち、それが、稀代の詐欺師だ。アハハ!
この映画『スティング』では、その詐欺の撮影現場に、さらに詐欺の舞台となる有線競馬場と言うセットが作られる。
映画と言う、元来、詐欺の物語の中で、さらに詐欺をするという、いやはや、ややこしいことになる。
あの『マスク』のジム・キャリーが出演した『トゥールマン・ショー』という映画があるが、これは、まさに、ややこしさの極みと言える。
観られた人も多いだろうから、ここでは、詳しくは書かない。
こう考えれば、何かおじさん、世の中自体が、実は、大きなロシアの入れ子人形のような気がして、何となく、可笑しくも奇妙な気分になってきた。
まあ、とにかく、この作品、コミカルなタッチで描かれた、一見、キャスト優先の軽い内容とも取れるが、中々、奥が深いのだ。
この映画は、先に書いたように、大恐慌と大戦の狭間、ロストジェネレーション時代の荒廃したシカゴの郊外が舞台となっている。
おじさん、この壮大な映画と言う詐欺の舞台作りとして、あるカポネをはじめとしたギャングが跳梁跋扈した禁酒時代の雰囲気が、如何にも米国らしくて好きだ。
本当に、ハリウッドに俄かに作られたハリボテセットかも知れないが、眺めているだけで楽しいのだ。
映画のバックグランドだけで、充分、元は取ったと言う感じだ。
舞台はニューヨークに移るが、同時代の『ワンス・アポン・ア・タイム』や『コットンクラブ』などの映画もそうだろう。
本当にストーリーそっちのけで、おじさん、そのセットにも見入ってしまうのだ。
いやあ、それだけで楽しい。
日本の1950年代の景色を描き出して話題になった『三丁目の夕陽』なども、懐かしい情景を鮮やかに再現したセットや特撮が売りである。
その頃、子供時代を過ごした、おじさんなど、ジュワと目尻に涙が滲んでくる。
いやあ、郷愁で胸が一杯になる。
まあ、『スティング』は、ロバート・レッドフォード、ポール・ニューマンの2人の名優の洒脱な演技振りも見ものだが、また、この時代を精妙に再現した街並みやファッション、暮らし振りなどの時代的空気を鑑賞するのも一興だと思う。
※ヤフーブログにて 2015年3月7日 アップ
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