街路樹のあれこれ 『街路樹を楽しむ15の謎』より ☆☆☆
『街路樹を楽しむ15の謎』 著者 渡辺 一夫
秋になれば、こんなおじさんでも、普段、気にも留めない木々に目を向けるようになる。
辺りの木々が紅葉し始めて、色鮮やかに目に映るようになるからだろうか?
確かに、花に包まれる春の木々も良いが、何と言っても、紅葉した木々のある風景は、しっとりとした情感が心に沁みる。
おじさんが今、座っている窓から、我が家のささやかな庭の木々が見える。

改めて見ると、夏場には一様の緑に見えたものが、秋になれば、それぞれの木々の個性が際立って見えるのだ。
いやはや、改めて眺めると、結構、色々な木々が庭を埋め尽くしているのが分る。
挙げてみると、その種類は、中々多彩だ。
黒松、あい松、樫、柘植、山茶花、柊、槇、楓、アオキ、金木犀、ツツジ、サツキ、南天、薔薇、シキビ、木瓜(ぼけ)、山椒などだ。
先頃、シルバー人材センターの人にお願いして剪定して頂いた松は、見越しの松さながら、枝振りも良くなり、梳かれた葉が、透き通った青色の秋の空に向かって、天を指す様に起立している。
剪定前は、松の下を通る度に、おじさんの頭のてっぺんを、葉先がチクチクと突きさしていた。
手入れすれば、木々も応えてくれるのだ。
また、ついこの間まで、金木犀が小さな黄色い花を咲かせ、甘い芳香を辺りに漂わせていた。
窓を開けていると、家の中まで、その優しい香りが、そっと香ってくる。
南天の実は、もう赤く色づいている。
もうしばらくすれば、山茶花の白い花の蕾も見られるようになるだろう。
いやあ、秋になると、木々は、一番美しい時期を迎える。
そんなことで、俄かに木に興味を惹かれて、この本を取り上げてみた。
まあ、今、おじさんの暮らしている里山には、街路樹に選ばれるような木々は見当たらないが、どうも、街路樹は、何かしら、過ぎ去った日々のノスタルジックな思いを伴なっていることが多いようだ。
おじさん、この本を読み終えて、ぼんやりと庭の木々を眺めながら、次々に本書で紹介されていた街路樹を思い浮かべ、取り留めなく思い出されてくる記憶を手繰っていた。
街路樹と言えば、どうしても、おじさんには、子供の頃のポプラが印象深い。
小学校の校庭には、このポプラがよく植えられていた。
秋になると、黄色くなった落ち葉を拾ってきて、栞(しおり)代わりに、教科書やノートに挟んだりしていた。
葉柄が長いため、栞にちょうど良いのだ。
むろん、おじさんには、勉強などする気は、さらさらなかったので、授業時間は、何かと、その葉っぱが遊び相手になるのだ。
それに、ポプラの木の下は、チャーリンボ(仲間はずれ)のおじさんの定番の居場所でもあった。
あの長いゴツゴツとした幹に背中を持たせかけ、放課後、下校まで、ぼんやり、よく校庭を眺めていたのを思い出す。
枝を伸び伸びと高く伸ばすポプラの木と、遊び回る子供たちは、何となく、相性が良いように思えてならない。
いやもう、小学校の校庭に、実に似合う木だ。
次に思い出されるのは、イチョウだ。
これは、大学時代のキャンパスが印象深い。
イチョウ並木と言うのではなく、どうも、おじさんには、イチョウは、スタンドアローンの大木というイメージが強い。
昔は、よく、神社の境内に、大きなイチョウの木が植えられていた。
秋祭りなどでは、そのイチョウの落ち葉を踏みしめて、ずらりと並んだ石畳の参拝道を歩きながら、露店をハシゴしたのを覚えている。
おじさんが氏子だった大阪の下町の神社のイチョウは、秋になると、驚く程、沢山の銀杏の実を付けた。
幹の根元には、悪臭を放つ熟れた実が落ちていて、この実を靴の底で地面にこすり付け、種子である堅い殻の銀杏を取り出す。
これを、バチ当たりにも、神社の口すすぎの流水で洗い、家に持ち帰る。
いやはや、それをお袋に買ってもらうのだ。
小遣い稼ぎになる。
これが、露店で遊ぶ資金になった。
綿飴やミルク煎餅、ヒモ飴、たこ焼き、リンゴ飴などに化けたのだ。
話しを戻そう。
大学では、メイングランドの傍らに、イチョウの木が植えられていた。
かれこれ、樹齢百年を超える立派な大木だ。
大きく、グランドに枝を伸ばしていた。
おじさん、講義の合間の暇な時間があれば、そのグランドの芝生席に仰向けに寝っ転がり、青空を天井に、のんびり、うたた寝をすることが多かった。
その頃から、ぐうたらの素質があったのだろう。
エヘヘ!
いやはや、秋になれば、時々、居眠りから目覚めると、目の端には、イチョウの黄色く色づいた枝が視野に入り、その黄色と、秋の透き通るような青空とのコントラストが、今も鮮やかに記憶に蘇ってくる。
時々、いきなり、銀杏の形をしたアメフトのボールも飛んで来て、驚かされたりする。
おじさんにとっては、多分に棚ボタの大学生活だったから、ああ、大学生活をしているなという実感に浸れた幸せな一時だった。
今から思い起こせば、バイトばかりをしていたような気がするが、やはり、あの頃が、一番良い時代だったのかも知れない。
どうも感傷に落っこちてしまったようだ。
いやまあ、イチョウ並木と言えば、おじさんが、社会人になってから、ほぼ30年間、身近に見てきた御堂筋のイチョウ並木にトドメを指すだろう。
前にも書いたが、おじさん、会社からの帰宅者で混雑する、あらゆる物がホンノリと淡く黄昏色に染まる御堂筋が好きだ。
この時間帯は、季節に関わらず、イチョウは束の間、茜色に紅葉するのだ。
とくに、おじさん、お気に入りの辺りは、芭蕉が旅に病んで、弟子に看取られながら亡くなったと言われる南御堂辺りだ。
風情が良い。
近代的な大企業のビルが建ち並ぶ中、唯一、石垣に建つ伝統的な寺院の佇まいが、落ちついた空間を現出する。
何とも、このクラシックな雰囲気にも、イチョウ並木がしっくりくるのだ。
おじさん、夕暮れに、その辺りを歩いていると、しばし、御堂筋の喧騒が消し飛んで、静寂に包まれるような思いに捉われる。
ついつい、遠回りして帰宅したくなる。
で、人恋しくなって、心斎橋で一杯ということになるのだ。
トホホ!
イチョウと同様に、黄色に色づくのがプラタナスだ。
ボブ・ディランの歌ではないが、おじさんたちの世代は、どうも、落ち葉と人生とを結びつけてしまうようだ。
葉が風に舞うのを見て、人生の儚さを感じてしまう。
そんな感傷に最も捉われるのがプラタナスの並木だろう。
風に舞う落ち葉は、やっぱり、プラタナスが一番似合うのだ。
いやもう、風に身を任すプラタナスの落ち葉を眺めながら、人生に思いを馳せていると、ふと気づけば、♪そこには、風邪が吹いているだけ…♪ということになる。
おじさん、プラタナスと言えば、高校時代の校庭の坂道を思い出す。
学校が、この古本屋のルーツ、小高い夕日ヶ丘にあったので、校門を入ってから、校舎に至るまでは、いささか急な坂道になっている。
その両側に、対になって数本のプラタナスが並んで植えられていた。
何かにつけて無気力だったおじさんだが、当時、文化祭だけは、模擬店を出したり、演劇をしたりと結構熱心に取り組んだ。
元々、勉強嫌いのおじさんは、文化祭の準備にかこつけて、学校公認で授業をさぼるのだ。
それでも、理由はともあれ、やり出したら熱くなる。
そこそこ夢中になってやってしまう。
やがて、文化祭の当日がやってきて、あっと言う間に文化祭は終わってしまうのだ。
後は、撤収のみだ。
この撤収の時が、妙に淋しくなる。
大袈裟に言えば、明日から何をしようかと方向性を失ってしまい、胸がキュンと締め付けられるのだ。
やがて、撤収も、無事終了し、校舎から出て、あのプラタナスの坂道を校門へ下ることになる。
もう、すっかり夕暮れだ。
いやあ、秋だから、風も冷たくなって、時折吹く強い風に煽られて、プラタナスの落ち葉が、じゃれつく子犬のように足元に纏わりついて離れない。
そのカサカサと言う乾いた音が、一層淋しさを募らせる。
やっぱり、人生と言うものは、所詮、淋しいものだと生意気にも思う。
いやはや、坂を下りきって振り返ると、かなり葉っぱを落として、逆さ箒(ほうき)になりつつあるプラタナスも、淋しげに、夕闇に起立しているのだ。
いやあ、どうも、街路樹と言えば、若い頃の懐かしい思い出と一緒になり、いつの間にか、心象風景として記憶の中に焼き付いているようである。
これは、おじさんの勝手な思いなのだが、街路樹には、何故か、どこか一抹の淋しさがあるようだ。
これは、おじさんだけの感傷だろうか?
さて、本書は、おじさんに、記憶の中に沈潜していた様々なノスタルジックな心象風景を思い起こさせてくれた。
とは言っても、本書は、単に、街路樹についての思い出を綴ったエッセイではない。
いやもう、ちゃんとした現役の森林インストラクターの著者が、街路樹のプロとして、代表的な街路樹の植物的特徴やその生態、また、それら街路樹の名所や、その歴史的経過、さらに、あまり知られていない街路樹の栄枯盛衰、その管理メンテナンス、人気ランキングに至るまで、様々な角度から、興味深い話しを伝えてくれる。
この本を一読すれば、これまで、何気なく眺めていた街路樹も、俄然存在感を増し、新鮮な思いで眺められることになるだろう。
おじさん、街路樹が、街路樹として植えられるには、それなりの理由があることを合点することができた。
最後に、本書から、日本の街路樹ベスト10を挙げておこう。
2007年(平成19年)の統計では、日本には667万本の街路樹が登録されている。
後につけた矢印は、増加傾向を示す。
①イチョウ/18%↓
②桜類/16%↓
③ケヤキ/15%↑
④ハナミズキ/10%↑
⑤洋カエデ/10%↓
⑥クスノキ/9%↓
⑦モミジ葉風/6%↓
⑧ナナカマド/6%↑
⑨プラタナス類/5%↓
⑩日本産カエデ類/5%→
※ヤフーブログにて 2014年11月30日 アップ
秋になれば、こんなおじさんでも、普段、気にも留めない木々に目を向けるようになる。
辺りの木々が紅葉し始めて、色鮮やかに目に映るようになるからだろうか?
確かに、花に包まれる春の木々も良いが、何と言っても、紅葉した木々のある風景は、しっとりとした情感が心に沁みる。
おじさんが今、座っている窓から、我が家のささやかな庭の木々が見える。
改めて見ると、夏場には一様の緑に見えたものが、秋になれば、それぞれの木々の個性が際立って見えるのだ。
いやはや、改めて眺めると、結構、色々な木々が庭を埋め尽くしているのが分る。
挙げてみると、その種類は、中々多彩だ。
黒松、あい松、樫、柘植、山茶花、柊、槇、楓、アオキ、金木犀、ツツジ、サツキ、南天、薔薇、シキビ、木瓜(ぼけ)、山椒などだ。
先頃、シルバー人材センターの人にお願いして剪定して頂いた松は、見越しの松さながら、枝振りも良くなり、梳かれた葉が、透き通った青色の秋の空に向かって、天を指す様に起立している。
剪定前は、松の下を通る度に、おじさんの頭のてっぺんを、葉先がチクチクと突きさしていた。
手入れすれば、木々も応えてくれるのだ。
また、ついこの間まで、金木犀が小さな黄色い花を咲かせ、甘い芳香を辺りに漂わせていた。
窓を開けていると、家の中まで、その優しい香りが、そっと香ってくる。
南天の実は、もう赤く色づいている。
もうしばらくすれば、山茶花の白い花の蕾も見られるようになるだろう。
いやあ、秋になると、木々は、一番美しい時期を迎える。
そんなことで、俄かに木に興味を惹かれて、この本を取り上げてみた。
まあ、今、おじさんの暮らしている里山には、街路樹に選ばれるような木々は見当たらないが、どうも、街路樹は、何かしら、過ぎ去った日々のノスタルジックな思いを伴なっていることが多いようだ。
おじさん、この本を読み終えて、ぼんやりと庭の木々を眺めながら、次々に本書で紹介されていた街路樹を思い浮かべ、取り留めなく思い出されてくる記憶を手繰っていた。
街路樹と言えば、どうしても、おじさんには、子供の頃のポプラが印象深い。
小学校の校庭には、このポプラがよく植えられていた。
秋になると、黄色くなった落ち葉を拾ってきて、栞(しおり)代わりに、教科書やノートに挟んだりしていた。
葉柄が長いため、栞にちょうど良いのだ。
むろん、おじさんには、勉強などする気は、さらさらなかったので、授業時間は、何かと、その葉っぱが遊び相手になるのだ。
それに、ポプラの木の下は、チャーリンボ(仲間はずれ)のおじさんの定番の居場所でもあった。
あの長いゴツゴツとした幹に背中を持たせかけ、放課後、下校まで、ぼんやり、よく校庭を眺めていたのを思い出す。
枝を伸び伸びと高く伸ばすポプラの木と、遊び回る子供たちは、何となく、相性が良いように思えてならない。
いやもう、小学校の校庭に、実に似合う木だ。
次に思い出されるのは、イチョウだ。
これは、大学時代のキャンパスが印象深い。
イチョウ並木と言うのではなく、どうも、おじさんには、イチョウは、スタンドアローンの大木というイメージが強い。
昔は、よく、神社の境内に、大きなイチョウの木が植えられていた。
秋祭りなどでは、そのイチョウの落ち葉を踏みしめて、ずらりと並んだ石畳の参拝道を歩きながら、露店をハシゴしたのを覚えている。
おじさんが氏子だった大阪の下町の神社のイチョウは、秋になると、驚く程、沢山の銀杏の実を付けた。
幹の根元には、悪臭を放つ熟れた実が落ちていて、この実を靴の底で地面にこすり付け、種子である堅い殻の銀杏を取り出す。
これを、バチ当たりにも、神社の口すすぎの流水で洗い、家に持ち帰る。
いやはや、それをお袋に買ってもらうのだ。
小遣い稼ぎになる。
これが、露店で遊ぶ資金になった。
綿飴やミルク煎餅、ヒモ飴、たこ焼き、リンゴ飴などに化けたのだ。
話しを戻そう。
大学では、メイングランドの傍らに、イチョウの木が植えられていた。
かれこれ、樹齢百年を超える立派な大木だ。
大きく、グランドに枝を伸ばしていた。
おじさん、講義の合間の暇な時間があれば、そのグランドの芝生席に仰向けに寝っ転がり、青空を天井に、のんびり、うたた寝をすることが多かった。
その頃から、ぐうたらの素質があったのだろう。
エヘヘ!
いやはや、秋になれば、時々、居眠りから目覚めると、目の端には、イチョウの黄色く色づいた枝が視野に入り、その黄色と、秋の透き通るような青空とのコントラストが、今も鮮やかに記憶に蘇ってくる。
時々、いきなり、銀杏の形をしたアメフトのボールも飛んで来て、驚かされたりする。
おじさんにとっては、多分に棚ボタの大学生活だったから、ああ、大学生活をしているなという実感に浸れた幸せな一時だった。
今から思い起こせば、バイトばかりをしていたような気がするが、やはり、あの頃が、一番良い時代だったのかも知れない。
どうも感傷に落っこちてしまったようだ。
いやまあ、イチョウ並木と言えば、おじさんが、社会人になってから、ほぼ30年間、身近に見てきた御堂筋のイチョウ並木にトドメを指すだろう。
前にも書いたが、おじさん、会社からの帰宅者で混雑する、あらゆる物がホンノリと淡く黄昏色に染まる御堂筋が好きだ。
この時間帯は、季節に関わらず、イチョウは束の間、茜色に紅葉するのだ。
とくに、おじさん、お気に入りの辺りは、芭蕉が旅に病んで、弟子に看取られながら亡くなったと言われる南御堂辺りだ。
風情が良い。
近代的な大企業のビルが建ち並ぶ中、唯一、石垣に建つ伝統的な寺院の佇まいが、落ちついた空間を現出する。
何とも、このクラシックな雰囲気にも、イチョウ並木がしっくりくるのだ。
おじさん、夕暮れに、その辺りを歩いていると、しばし、御堂筋の喧騒が消し飛んで、静寂に包まれるような思いに捉われる。
ついつい、遠回りして帰宅したくなる。
で、人恋しくなって、心斎橋で一杯ということになるのだ。
トホホ!
イチョウと同様に、黄色に色づくのがプラタナスだ。
ボブ・ディランの歌ではないが、おじさんたちの世代は、どうも、落ち葉と人生とを結びつけてしまうようだ。
葉が風に舞うのを見て、人生の儚さを感じてしまう。
そんな感傷に最も捉われるのがプラタナスの並木だろう。
風に舞う落ち葉は、やっぱり、プラタナスが一番似合うのだ。
いやもう、風に身を任すプラタナスの落ち葉を眺めながら、人生に思いを馳せていると、ふと気づけば、♪そこには、風邪が吹いているだけ…♪ということになる。
おじさん、プラタナスと言えば、高校時代の校庭の坂道を思い出す。
学校が、この古本屋のルーツ、小高い夕日ヶ丘にあったので、校門を入ってから、校舎に至るまでは、いささか急な坂道になっている。
その両側に、対になって数本のプラタナスが並んで植えられていた。
何かにつけて無気力だったおじさんだが、当時、文化祭だけは、模擬店を出したり、演劇をしたりと結構熱心に取り組んだ。
元々、勉強嫌いのおじさんは、文化祭の準備にかこつけて、学校公認で授業をさぼるのだ。
それでも、理由はともあれ、やり出したら熱くなる。
そこそこ夢中になってやってしまう。
やがて、文化祭の当日がやってきて、あっと言う間に文化祭は終わってしまうのだ。
後は、撤収のみだ。
この撤収の時が、妙に淋しくなる。
大袈裟に言えば、明日から何をしようかと方向性を失ってしまい、胸がキュンと締め付けられるのだ。
やがて、撤収も、無事終了し、校舎から出て、あのプラタナスの坂道を校門へ下ることになる。
もう、すっかり夕暮れだ。
いやあ、秋だから、風も冷たくなって、時折吹く強い風に煽られて、プラタナスの落ち葉が、じゃれつく子犬のように足元に纏わりついて離れない。
そのカサカサと言う乾いた音が、一層淋しさを募らせる。
やっぱり、人生と言うものは、所詮、淋しいものだと生意気にも思う。
いやはや、坂を下りきって振り返ると、かなり葉っぱを落として、逆さ箒(ほうき)になりつつあるプラタナスも、淋しげに、夕闇に起立しているのだ。
いやあ、どうも、街路樹と言えば、若い頃の懐かしい思い出と一緒になり、いつの間にか、心象風景として記憶の中に焼き付いているようである。
これは、おじさんの勝手な思いなのだが、街路樹には、何故か、どこか一抹の淋しさがあるようだ。
これは、おじさんだけの感傷だろうか?
さて、本書は、おじさんに、記憶の中に沈潜していた様々なノスタルジックな心象風景を思い起こさせてくれた。
とは言っても、本書は、単に、街路樹についての思い出を綴ったエッセイではない。
いやもう、ちゃんとした現役の森林インストラクターの著者が、街路樹のプロとして、代表的な街路樹の植物的特徴やその生態、また、それら街路樹の名所や、その歴史的経過、さらに、あまり知られていない街路樹の栄枯盛衰、その管理メンテナンス、人気ランキングに至るまで、様々な角度から、興味深い話しを伝えてくれる。
この本を一読すれば、これまで、何気なく眺めていた街路樹も、俄然存在感を増し、新鮮な思いで眺められることになるだろう。
おじさん、街路樹が、街路樹として植えられるには、それなりの理由があることを合点することができた。
最後に、本書から、日本の街路樹ベスト10を挙げておこう。
2007年(平成19年)の統計では、日本には667万本の街路樹が登録されている。
後につけた矢印は、増加傾向を示す。
①イチョウ/18%↓
②桜類/16%↓
③ケヤキ/15%↑
④ハナミズキ/10%↑
⑤洋カエデ/10%↓
⑥クスノキ/9%↓
⑦モミジ葉風/6%↓
⑧ナナカマド/6%↑
⑨プラタナス類/5%↓
⑩日本産カエデ類/5%→
※ヤフーブログにて 2014年11月30日 アップ
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