ミステリーに満ちた科学の世界 『ゲノム・ハザード』より ☆☆☆
『ゲノム・ハザード』 著者 司城 志朗
ある日、仕事を終えて帰宅すると、何らかの規則性を持って並べられた17本のキャンドルの炎に囲まれ、自分の妻が頭から血を流し倒れていた。
既に息はない。
その死体の近くには、クリスタルの時計が、血糊と共に無動作に転がっていた。
真っ暗闇の中で、その17本のキャンドルだけが、炎を揺らめかせて輝いている。
いやはや、17本のキャンドルの配置には、深刻なメッセージが込められているに違いない。
まさに、それは、ダイイング・メッセージなのだ。
そのメッセージの発信者は、殺された妻だろうか?
それとも、妻を殺した犯人だろうか?
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
やってきたのは、見たこともない得体の知れない二人連れの男だった。
自らは、警官だと名乗っているが、どうも疑わしい。
いずれにしろ、この二人が何者であろうと、この状況では、自分が妻を殺害したと疑念を持たれるのに違いない。
その時、突然、電話の呼び出し音がする。
ルルル、ルルル。
受話器を取れば、いきなり、「私は殺されてはいない。すぐさま、逃げて!」という声が、受話器を通して流れてきた。
それは、確かに、自分の妻の声だったのだ。
目の前の殺されている妻、そして、電話から流れてくる妻の声。
これは一体、何が起こっているのだ。
……
いやはや、このミステリーの冒頭のシーンだが、もう、これ以上、先のことを書けば、一気に、この作品の興味は失せてしまうだろう。
冒頭で起こっていることの意外性が、この作品の全てなのだ。
実は、この作品は、何よりも、最近の分子生物学の成果を、如何にミステリー・アイデアとして仕立てあげるかが、腕の見せ所になっている。
だから、おじさんが、そのアイデアを明かした途端、このミステリーは、最近の分子生物学の解説本のようになってしまうのだ。
むろん、アクションも、登場人物たちが交わす会話も、それなりに楽しめる。
物語の展開も、テンポがあり、スリリングだ。
それでも、おじさんには、この作品は、ミステリーの科学的アイデアだけが全てだと思われるのだ。
だから、ストーリーについては、もう、これ以上辿ることはできない。
そこで、ちょっと物語から脇道に逸れるが、分子生物学の話しに脱線したい。
ド素人のおじさんが言うことだから、ものすごく飛躍があり、とにかく大雑把な話しであることを断っておく。
もちろん、科学的に、確たる根拠を持っている訳ではない。
この本での受け売りや、聞きかじりの知識の繋ぎ合わせだ。
つまり、こんなことだ。
人間の生命の営みは、極言に行きつけば、全て、それは科学反応のシステマチックな連鎖として捉えられるらしい。
肉体を形成維持するのも、究極は、体細胞による科学反応の所産だし、その精神活動も、脳細胞を形成する神経細胞のパルスのやり取りに起因する。
このパルス自体は、神経細胞が放出する科学物質の連鎖により、神経シナプスのネットワークを通じて伝達されていく。
人間の脳は、この神経シナプスの巨大な集積隊と言えるだろう。
結局、精神活動も、とどのつまり、化学反応に還元されるのだ。
いやはや、それでは、これらの生命活動の過去の履歴はどこに記録されていくのだろうか?
それは、まさに、突き詰めていけば、染色体の二重らせん構造を持つDNAの中の遺伝子の塩基配列の中に書き込まれていることになる。
おじさんたちが、普段、生命活動の中で蓄積されていく記憶は、もちろん、脳細胞のネットワークを駆け巡る化学反応で維持されているのだが、さらに、突き詰めれば、その化学反応を統御するDNAの塩基配列の中に辿りついてしまう。
やはり、人間の記憶も遺伝子の中に収納されていることになる。
ということは、遺伝子のゲノムを、そっくり相手の脳に上書き保存してやれば、人間は、肉体は年老いても、他人の肉体の中で、新たな生命活動を継続できるのだ。
他人の脳内で記憶をバトンタッチすることと同様だ。
これは、ある意味、人間が、不老不死を獲得することでもある。
人間が生きているという意識は、まさに記憶であり、記憶に基づく外界への対応だからだ。
まあ、ややこしい話しになったが、結論を言えば、遺伝子に書き込まれた記憶を上書き出来れば、人間は、脳の意識の中で永遠の生命を得ることになるのだ。
とは言え、その上書きの手段が分からないから、これは夢物語だということになる。
ところが、何らかの媒介を通じて、それが可能になれば、どうだろうか?
実は、山中伸弥教授が、身体のどこにも変成する万能細胞=IPS細胞をつくる際には、遺伝子を組み換えることになる。
この組み換えの役割を果たすのは、ある種のウィルスが活用されているのだ。
もちろん、インフルエンザ・ウィルスのように、人間の身体に悪さをするウィルスではなく、言わば、善良なウィルスを活用している。
ご存じの通り、ウイルスは、細胞の核に取りつき、直接、自分の遺伝子を注入することにより増殖していく。
仮りに、そのウィルスが、ある人間の脳を形成する遺伝子の中に記録された記憶をコピーし、それを他の人間の脳に移植しながら増殖していくとすれば、どうなるだろうか?
まさに、記憶がリレーされ、他人の肉体の中で、コピーされた自己意識は、過去を失うことなく、別な肉体で永遠に生命を持ち続けることになるのだ。
そんなウィルスが、研究室のシャーレの中の突然変異で生まれないとも限らないし、現在、存在しているレトロウィルスの中に、そうした能力を持つものもいるかもしれない。
いやはや、どうだろうか?
この作品の冒頭のシーンと、何となく結びついていかないだろうか?
それらが、オーバーラップしたら、この作品の、おぼろげながらのストーリー展開が想像してもらえると思うのだが…。
さて、おじさん、この物語を読みながら、さらに、つらつらと、次のようなことを考えていた。
仮りに、全ての生命活動が、化学反応に起因するなら、最近話題になった小保方晴子さんのSTAP細胞の可能性も、ごく自然な形で、すんなりと理解できるのだ。
強引に遺伝子を組み換えて万能細胞をつくり出すより、遺伝子に何らかの化学的・物理的環境の変化を与えることにより、万能細胞をつくり出す方が、おじさん、理に適っているような気にもなるのだ。
まあ、それはさておき、この本の物語の中では、新たな医学領域における革新的な発見に誘発され、そこから生まれる利権を求めて、国際製薬メーカーが暗躍する姿を描き出している。
おじさんの勝手な妄想だが、今回の小保方さんのSTAP細胞の発見?も、その水面下では、研究の成果とは別なところで、かなり、ビジネスライクな綱引きが行われたのではないかと思ったりしている。
例えば、日本では、山中伸弥さんのIPS細胞が万能細胞として先行した。
遺伝子の組み換えによる万能細胞の生成だ。
これは、遺伝子を組み換えると言う力技だが、既に世界的にも認められ、山中伸弥さん自身もノーベル賞を授与されていることは周知の事実だ。
現在、日本では国家的プロジェクトになり、大規模な研究投資が行われている。
その医療への実用化は、まさに日本の医学界における至上課題となっているのだ。
まあ、そこに、ある種の細胞に物理的な環境や刺激を与えるだけで、容易に万能細胞をつくり出すことができ、さらに、人体に移殖しても、癌細胞などに変化する心配も少ない。
当然ながら、歩留まりが良く、その細胞作製コストも驚く程安上がりだということになれば、これまで、日本をはじめ、国や様々な医療関係機関、企業により費やされた先行投資は、ことごとく無駄になってしまう。
途方もない莫大な損失だ。
おじさんたちユーザーは、ただただ、安価で安全・安心な技術を好むが、医療の研究開発機関や企業は必ずしもそうではない。
そこでは、往々にして、倫理よりも利害が優先される場合があるのだ。
だから、出る杭は打たれるがごとく、既成の利権を持つ人たちには、今回のSTAP細胞の技術は、戦々恐々たるものだったろう。
そこに、科学者の面子や研究機関への国家の補助金、さらに、個人の研究上の都合などの様々な問題が絡み合い、それは、それは、複雑な様相を呈するに違いない。
今回のSTAP細胞には、そうした既存研究勢力が嫌うマイナス要素が多く見られる。
小保方さんが、若い女性で、これまでの実績が充分と言えない研究者であること、バックに大学の指定関係がないこと、理化学研究所の雇われ研究員であること、そして、何よりも、小保方さんのSTAP細胞が、容易にIPS細胞を凌駕する利点を持っているからだ。
潰された?
まさかそんなことはないだろうが、それでも、科学者の世界であっても、こうした政治的な駆け引きがあり得ないことではない。
まあ、おじさんのように、ミステリーの読み過ぎもあるが、反面、全て、キレイ事で済む世の中でもないのだ。
いつでも、能力があり、誠実な人が、世の中で認められるとは限らないように、最適な技術が、世の中に受け入れられるという保証はないのだ。
むしろ、逆な場合も多い。
断っておくが、何も山中伸弥さんの素晴らしい業績を、どうのこうのと言っているのではなく、社会が動くということは、あまりに多くの、それ以外の要素が絡み合っているということだ。
多分に、時期とタイミングが求められるのだ。
いやはや、時流が味方にならなければならないということかもしれない。
もちろん、その時流を呼び込むのは、絶え間ない精進であることも事実だろう。
いやはや、どうも、話しは作品の方から、随分と逸脱したかもしれないが、改めて科学の世界も、キレイ事でない、多くのミステリー・アイデアが転がっている領域だなと思わずにはいられなかった。
※ヤフーブログにて 2014年6月27日 アップ
ある日、仕事を終えて帰宅すると、何らかの規則性を持って並べられた17本のキャンドルの炎に囲まれ、自分の妻が頭から血を流し倒れていた。
既に息はない。
その死体の近くには、クリスタルの時計が、血糊と共に無動作に転がっていた。
真っ暗闇の中で、その17本のキャンドルだけが、炎を揺らめかせて輝いている。
いやはや、17本のキャンドルの配置には、深刻なメッセージが込められているに違いない。
まさに、それは、ダイイング・メッセージなのだ。
そのメッセージの発信者は、殺された妻だろうか?
それとも、妻を殺した犯人だろうか?
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
やってきたのは、見たこともない得体の知れない二人連れの男だった。
自らは、警官だと名乗っているが、どうも疑わしい。
いずれにしろ、この二人が何者であろうと、この状況では、自分が妻を殺害したと疑念を持たれるのに違いない。
その時、突然、電話の呼び出し音がする。
ルルル、ルルル。
受話器を取れば、いきなり、「私は殺されてはいない。すぐさま、逃げて!」という声が、受話器を通して流れてきた。
それは、確かに、自分の妻の声だったのだ。
目の前の殺されている妻、そして、電話から流れてくる妻の声。
これは一体、何が起こっているのだ。
……
いやはや、このミステリーの冒頭のシーンだが、もう、これ以上、先のことを書けば、一気に、この作品の興味は失せてしまうだろう。
冒頭で起こっていることの意外性が、この作品の全てなのだ。
実は、この作品は、何よりも、最近の分子生物学の成果を、如何にミステリー・アイデアとして仕立てあげるかが、腕の見せ所になっている。
だから、おじさんが、そのアイデアを明かした途端、このミステリーは、最近の分子生物学の解説本のようになってしまうのだ。
むろん、アクションも、登場人物たちが交わす会話も、それなりに楽しめる。
物語の展開も、テンポがあり、スリリングだ。
それでも、おじさんには、この作品は、ミステリーの科学的アイデアだけが全てだと思われるのだ。
だから、ストーリーについては、もう、これ以上辿ることはできない。
そこで、ちょっと物語から脇道に逸れるが、分子生物学の話しに脱線したい。
ド素人のおじさんが言うことだから、ものすごく飛躍があり、とにかく大雑把な話しであることを断っておく。
もちろん、科学的に、確たる根拠を持っている訳ではない。
この本での受け売りや、聞きかじりの知識の繋ぎ合わせだ。
つまり、こんなことだ。
人間の生命の営みは、極言に行きつけば、全て、それは科学反応のシステマチックな連鎖として捉えられるらしい。
肉体を形成維持するのも、究極は、体細胞による科学反応の所産だし、その精神活動も、脳細胞を形成する神経細胞のパルスのやり取りに起因する。
このパルス自体は、神経細胞が放出する科学物質の連鎖により、神経シナプスのネットワークを通じて伝達されていく。
人間の脳は、この神経シナプスの巨大な集積隊と言えるだろう。
結局、精神活動も、とどのつまり、化学反応に還元されるのだ。
いやはや、それでは、これらの生命活動の過去の履歴はどこに記録されていくのだろうか?
それは、まさに、突き詰めていけば、染色体の二重らせん構造を持つDNAの中の遺伝子の塩基配列の中に書き込まれていることになる。
おじさんたちが、普段、生命活動の中で蓄積されていく記憶は、もちろん、脳細胞のネットワークを駆け巡る化学反応で維持されているのだが、さらに、突き詰めれば、その化学反応を統御するDNAの塩基配列の中に辿りついてしまう。
やはり、人間の記憶も遺伝子の中に収納されていることになる。
ということは、遺伝子のゲノムを、そっくり相手の脳に上書き保存してやれば、人間は、肉体は年老いても、他人の肉体の中で、新たな生命活動を継続できるのだ。
他人の脳内で記憶をバトンタッチすることと同様だ。
これは、ある意味、人間が、不老不死を獲得することでもある。
人間が生きているという意識は、まさに記憶であり、記憶に基づく外界への対応だからだ。
まあ、ややこしい話しになったが、結論を言えば、遺伝子に書き込まれた記憶を上書き出来れば、人間は、脳の意識の中で永遠の生命を得ることになるのだ。
とは言え、その上書きの手段が分からないから、これは夢物語だということになる。
ところが、何らかの媒介を通じて、それが可能になれば、どうだろうか?
実は、山中伸弥教授が、身体のどこにも変成する万能細胞=IPS細胞をつくる際には、遺伝子を組み換えることになる。
この組み換えの役割を果たすのは、ある種のウィルスが活用されているのだ。
もちろん、インフルエンザ・ウィルスのように、人間の身体に悪さをするウィルスではなく、言わば、善良なウィルスを活用している。
ご存じの通り、ウイルスは、細胞の核に取りつき、直接、自分の遺伝子を注入することにより増殖していく。
仮りに、そのウィルスが、ある人間の脳を形成する遺伝子の中に記録された記憶をコピーし、それを他の人間の脳に移植しながら増殖していくとすれば、どうなるだろうか?
まさに、記憶がリレーされ、他人の肉体の中で、コピーされた自己意識は、過去を失うことなく、別な肉体で永遠に生命を持ち続けることになるのだ。
そんなウィルスが、研究室のシャーレの中の突然変異で生まれないとも限らないし、現在、存在しているレトロウィルスの中に、そうした能力を持つものもいるかもしれない。
いやはや、どうだろうか?
この作品の冒頭のシーンと、何となく結びついていかないだろうか?
それらが、オーバーラップしたら、この作品の、おぼろげながらのストーリー展開が想像してもらえると思うのだが…。
さて、おじさん、この物語を読みながら、さらに、つらつらと、次のようなことを考えていた。
仮りに、全ての生命活動が、化学反応に起因するなら、最近話題になった小保方晴子さんのSTAP細胞の可能性も、ごく自然な形で、すんなりと理解できるのだ。
強引に遺伝子を組み換えて万能細胞をつくり出すより、遺伝子に何らかの化学的・物理的環境の変化を与えることにより、万能細胞をつくり出す方が、おじさん、理に適っているような気にもなるのだ。
まあ、それはさておき、この本の物語の中では、新たな医学領域における革新的な発見に誘発され、そこから生まれる利権を求めて、国際製薬メーカーが暗躍する姿を描き出している。
おじさんの勝手な妄想だが、今回の小保方さんのSTAP細胞の発見?も、その水面下では、研究の成果とは別なところで、かなり、ビジネスライクな綱引きが行われたのではないかと思ったりしている。
例えば、日本では、山中伸弥さんのIPS細胞が万能細胞として先行した。
遺伝子の組み換えによる万能細胞の生成だ。
これは、遺伝子を組み換えると言う力技だが、既に世界的にも認められ、山中伸弥さん自身もノーベル賞を授与されていることは周知の事実だ。
現在、日本では国家的プロジェクトになり、大規模な研究投資が行われている。
その医療への実用化は、まさに日本の医学界における至上課題となっているのだ。
まあ、そこに、ある種の細胞に物理的な環境や刺激を与えるだけで、容易に万能細胞をつくり出すことができ、さらに、人体に移殖しても、癌細胞などに変化する心配も少ない。
当然ながら、歩留まりが良く、その細胞作製コストも驚く程安上がりだということになれば、これまで、日本をはじめ、国や様々な医療関係機関、企業により費やされた先行投資は、ことごとく無駄になってしまう。
途方もない莫大な損失だ。
おじさんたちユーザーは、ただただ、安価で安全・安心な技術を好むが、医療の研究開発機関や企業は必ずしもそうではない。
そこでは、往々にして、倫理よりも利害が優先される場合があるのだ。
だから、出る杭は打たれるがごとく、既成の利権を持つ人たちには、今回のSTAP細胞の技術は、戦々恐々たるものだったろう。
そこに、科学者の面子や研究機関への国家の補助金、さらに、個人の研究上の都合などの様々な問題が絡み合い、それは、それは、複雑な様相を呈するに違いない。
今回のSTAP細胞には、そうした既存研究勢力が嫌うマイナス要素が多く見られる。
小保方さんが、若い女性で、これまでの実績が充分と言えない研究者であること、バックに大学の指定関係がないこと、理化学研究所の雇われ研究員であること、そして、何よりも、小保方さんのSTAP細胞が、容易にIPS細胞を凌駕する利点を持っているからだ。
潰された?
まさかそんなことはないだろうが、それでも、科学者の世界であっても、こうした政治的な駆け引きがあり得ないことではない。
まあ、おじさんのように、ミステリーの読み過ぎもあるが、反面、全て、キレイ事で済む世の中でもないのだ。
いつでも、能力があり、誠実な人が、世の中で認められるとは限らないように、最適な技術が、世の中に受け入れられるという保証はないのだ。
むしろ、逆な場合も多い。
断っておくが、何も山中伸弥さんの素晴らしい業績を、どうのこうのと言っているのではなく、社会が動くということは、あまりに多くの、それ以外の要素が絡み合っているということだ。
多分に、時期とタイミングが求められるのだ。
いやはや、時流が味方にならなければならないということかもしれない。
もちろん、その時流を呼び込むのは、絶え間ない精進であることも事実だろう。
いやはや、どうも、話しは作品の方から、随分と逸脱したかもしれないが、改めて科学の世界も、キレイ事でない、多くのミステリー・アイデアが転がっている領域だなと思わずにはいられなかった。
※ヤフーブログにて 2014年6月27日 アップ
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