マスコミ界の病理も見逃さなかった 『運命の人 1』より ☆☆☆☆
『運命の人 1』 著者 山崎 豊子
2013年9月、残念なことに、山崎豊子さんが亡くなられた。
享年88才だった。
お亡くなりになられた時に、是非とも、追悼の意味を込めて、まだ読めていない山崎作品の一冊を読もうと思っていた。
だが、ついつい年末のこと、忙しさにかまけて、やっと今頃、本を手に取ることになった。
しかし、考えてみれば、山崎豊子さんには、いつも随分楽しませてもらったものだ。
普段の暮らしでは、およそ関わりのない社会の病理を、綿密な取材を通じて鮮やかな切口で描いている。
ホント、良質の社会ドラマとして楽しませてもらった。
いやもう、自分の住んでいるいる社会だけでなく、どんな社会にも歪んだ一面がいかに多いかを思いしらされた。
それも、大学の医局のような清く正しい聖職だと思い込んでいた社会の病理を、赤裸々に覗き見ることができたのだ。
その鋭い筆致は、フィクションが限りなくノンフィクションに迫った、新しいリアリスティックな小説世界を切り開いたと思う。
と言っても、業界暴露ということだけでなく、そこには、必ず現実の事件や人物がモデルとして存在し、非常に人間性豊かに、現実味溢れる形で描き出されている。
生き生きとした人間ドラマが、いつも、そこにはあるのだ。
むしろ、山崎豊子さんは、社会の病理を描きながらも、その理不尽さの中で翻弄されて生きていかざる得ない人間の辛さや悲しみに眼差しを向けてきた。
その眼差しを、ひときわ強い思いを持って向けたのが、あの大戦がもたらした理不尽さである。
まさに、それを描くことは、山崎豊子さんにとって、ライフワークと言うべきものだっただろう。
戦争三部作と呼ばれる一連の作品がある。
『不毛地帯』、『二つの祖国』、『大地の子』が、そうである。
いずれも壮大な叙事詩とも言うべき大作だ。
社会がもたらす最大の不条理は、まさに「戦争」に他ならない。
山崎豊子さん自身、戦時中に、女子挺身隊として、軍需工場へ徴用され、多くの友人が、爆撃で、言われなく命を落していくのを目撃したと言う。
NHKのニュースによれば、亡くなられる間際まで、真珠湾攻撃で特殊潜航艇に乗り、出撃し、思いを果たせず捕虜になった人物をモデルにした『約束の海』という作品を執筆中だったそうだ。
むろん、特殊潜航艇というのは、任務が終われば、回収される見込みは少ない。
いやはや、戦争の当初から、日本の軍隊は、こんな特攻同然の作戦を平気でとったのだ。
全く、常軌を逸している。
まあ、それはさておき、残念ながら、この『約束の海』は、未完の遺作となってしまった。
山崎豊子さんは、最後の最後まで、命の限りを尽くして、戦争が生み出す悲劇を新たに描くことに取り組んでいたと言う。
まさに、それは壮絶なものであったようだ。
80才を越え、全身を原因不明の痛みに襲われながら、あたかも命を削るかのように、執筆活動を続けているのだ。
それは、まるで、尽きせぬ思いに突き動かされているかのような、鬼気迫る姿だったらしい。
万年筆で書き始め、筆圧が落ちると、鉛筆に持ち替え、それでも、思うに任せない時は、筆ペンで執筆が続けられたようだ。
これは、まさに執念である。
そこで、おじさん、こうした山崎さんの姿勢に敬意を表し、先の大戦の本当の意味での終戦と言ってもよい、《沖縄返還》における日米の密約に端を発する「西山記者事件」を題材にした『運命の人』を取り上げることにした。
同時に、この作品は、当時から現在に至るまでの日本のマスコミの構造的問題をつぶさに把握するのにも重要な作品である。
おじさん、この古本屋で、ずっと現在の大マスコミの問題点を考えてきただけに、この点でも、大いに参考になった。
山崎豊子さん自身、作家の前修行を、毎日新聞の記者として過ごしているだけに、当時の大マスコミの取材姿勢のあり方を、現場の目でつぶさに描き出している。
まあ、おじさんにとって、この作品を読むことは、山崎豊子さんへの追悼、そして、当時のマスコミの体質をつぶさに把握できる作品となった。
さて、この作品に書かれていたが、とにかく、当時の大マスコミに属する記者たちが目指した優秀な敏腕記者像とは、次のようなものだった。
本文から抜き書きしてみる。
……
「目端の効く政治部記者には、3つのタイプがある。
1つは、番記者時代に培ったコネで、遊泳術を身につけ政治家に転身するタイプ。
2つ目は、新聞記者の肩書きのまま、有力大物政治家の懐刀として、陰で政界を取り仕切る読売の▲▲タイプ。
3つ目は、▲▲同様、政官界に深く食い込み、情報を取りながら、世論をリードするようなトップ記事を、署名入りで書きまくり、政治家の方から必要とされる記者。
それが、このオレ様だと、弓成(ゆみなり)は自負している。」
【本文中より抜粋】
……
もちろん、弓成とは、この物語の主人公である。
まあ、当時の花形政治部記者の意識が、こんなスタンドプレイ的なら、やはり、マスコミが腐ってくるのは仕方がない。
ここには、マスコミという立場を利用した、紛々たる権力意識が感じられる。
報道が、まるで自己顕示欲のための個人プレイのパフォーマンスの場となっているようだ。
政官界との癒着をベースに、報道情報、つまり、特ダネやスクープ記事をものにしようというサモシイ根性である。
どこに、社会に対して客観的で正確な情報を、正しい動機のもとに伝えなければならないというマスコミの使命があると言うのだ。
完全に、マスコミ人としての本質的なあり方が忘れ去られているような気がする。
そこには、マスコミの権力の見張り番としての最大の役割を果たさなければならないという使命感は微塵も感じられない。
大マスコミのその先頭に立とうとする人間が、こんな精神構造に捉われているのなら、夜討ち朝駆けのぶら下がり記者、おはよう記者が、霞が関や永田町の記者クラブに屯(たむろ)しても無理はない。
おじさん、この本を読み始めてつくづく思うのだが、確かに、この小説のモデルとなった西山事件では、政治による情報操作、政治によるマスコミへの圧力など、権力の横暴に対する国民の「知る権利」に関する様々な問題が取り上げられている。
しかし、一方では、大マスコミ自体に、この事件を生み出す精神的な土壌、いやもう、マスコミ事態の根本的な報道姿勢のあり方の歪みを感じざる得ない。
おじさん、長い物語のため、取りあえず、エピローグに当たる部分くらいしか、まだ読み進めていない。
やはり、現在のマスコミに繋がる構造的問題を強く感じるし、その問題について考えていきたいと思っている。
ゆっくり読み進めたいと思っているので、徐々に、おじさんが思ったマスコミについての問題点を、順々に報告していきたいと思っている。
さて、それにあたり、あまりにも有名な事件だけに、充分ご存じかと思うが、この作品のモデルとなった、毎日新聞記者の西山事件について、事件の概要を記しておきたい。
本作品は、実際の事件を徹底主題して、作家によりフィクションとして再構築されたものである。
昭和45年の頃のことである。
当時、佐藤栄作政権の最後の花道として、沖縄返還が最大の政治課題となっていた。
事実、沖縄返還は実現したのだが、返還にあたり、基地の撤去費用について、日米のどちらがその費用を持つかで、交渉が難航する。
結局、当時、沖縄返還の合意が直前に迫る中、国民を欺くような秘密合意が成されていた。
いわゆる、基地の撤去費用は、米国側が持つと公式発表していながら、その実、日本側が米国に支払う変換費用の総額の中に、見舞金として上乗せしておくという密約が成されていたのだ。
つまり、これでは、撤去費用は日本側が支払うことになる。
とすれば、国際通例上、米国が持たなければならない費用は、当然米国に要求するとしていた佐藤政権は、国民を欺く見せかけの発表をしたことになる。
これは、国民に対する重大な裏切り行為である。
このことを裏付ける外交機密文書を、西山記者が、独自の情報ソースから入手し、新聞ですっぱ抜くのだ。
さらに、それは売名好きの野党の政治家にもリークされ、国会の衆議院予算委員会の質問で、取り上げられることになる。
このことをキッカケに、機密文書をリークした情報ソースが特定されてしまう。
その外交秘密文書をリークしたのは、当時、外務省の審議官の秘書的な仕事に携わっていた、女盛りの女性事務官だった。
やがて、省内調査が進展し、その外務事務官は、上司から自首を促されて検察に出頭し、逮捕されるという事態になる。
国家公務員法における秘密漏洩の罪だ。
すぐさま、彼女の自供に基づいて、西山記者も逮捕され、留置場に収監されるのだ。
こちらは、国家公務員法における、そそのかし罪だ。
敏腕記者が、取材活動により逮捕されるなどということは、前代未聞の事態だった。
その裏には、政治生命をかけて実現させた沖縄返還の栄誉に泥を浴びせかけられた佐藤栄作首相の意志が強く働いていたと言われている。
これにより、国民の知る権利を標榜するマスコミ各社は、騒然となり、世論も含めて、一斉に佐藤政権への批判を強めていく。
こうして、政権VSマスコミの構図となり、佐藤政権は窮地に追い詰められることになった。
ところが、ここから、当時の権力による、西山記者へのリベンジ(復讐)が始まるのだ。
さしずめ、「倍返し」ということになるだろう。
いや、権力者の怨念は凄まじい。
それ以上かも知れない。
裁判の起訴状で、実は、その女性事務官と西山記者との間には、男女の関係があったことが暴露される。
いやもう、世論の関心の矛先は、一転、西山記者の愛人・不倫スキャンダルへと傾いていく。
まあ、これは、権力側の意図した世論誘導の匂いが強いが、以来、それまで、毎日新聞と共同戦線を牽いていた他のマスコミ各社も、潮が引くように西山記者支援から手を引き、スキャンダル問題へと報道の重点を移していく。
これは、まさに政権側の思う壺だ。
かくて、問題の核心である当時の政権の国民への裏切り、いわゆる、基地撤去の密約における虚偽発表の問題、国民の知る権利の問題は、西山記者の愛人・不倫スキャンダルの問題へとすり替えられてしまう。
かくて、本事件は、国家の機密保持、国民の知る権利、マスコミ取材による報道のあり方、そして、権力の横暴と人間の愛憎など様々な重要な問題点を含んでいる。
本物語は、『運命の人 1~4』と長い物語だが、おじさん、様々なことに思いを馳せながら、熟読玩味して読んでいきたいと思う。
※ヤフーブログにて 2014年2月11日 アップ
2013年9月、残念なことに、山崎豊子さんが亡くなられた。
享年88才だった。
お亡くなりになられた時に、是非とも、追悼の意味を込めて、まだ読めていない山崎作品の一冊を読もうと思っていた。
だが、ついつい年末のこと、忙しさにかまけて、やっと今頃、本を手に取ることになった。
しかし、考えてみれば、山崎豊子さんには、いつも随分楽しませてもらったものだ。
普段の暮らしでは、およそ関わりのない社会の病理を、綿密な取材を通じて鮮やかな切口で描いている。
ホント、良質の社会ドラマとして楽しませてもらった。
いやもう、自分の住んでいるいる社会だけでなく、どんな社会にも歪んだ一面がいかに多いかを思いしらされた。
それも、大学の医局のような清く正しい聖職だと思い込んでいた社会の病理を、赤裸々に覗き見ることができたのだ。
その鋭い筆致は、フィクションが限りなくノンフィクションに迫った、新しいリアリスティックな小説世界を切り開いたと思う。
と言っても、業界暴露ということだけでなく、そこには、必ず現実の事件や人物がモデルとして存在し、非常に人間性豊かに、現実味溢れる形で描き出されている。
生き生きとした人間ドラマが、いつも、そこにはあるのだ。
むしろ、山崎豊子さんは、社会の病理を描きながらも、その理不尽さの中で翻弄されて生きていかざる得ない人間の辛さや悲しみに眼差しを向けてきた。
その眼差しを、ひときわ強い思いを持って向けたのが、あの大戦がもたらした理不尽さである。
まさに、それを描くことは、山崎豊子さんにとって、ライフワークと言うべきものだっただろう。
戦争三部作と呼ばれる一連の作品がある。
『不毛地帯』、『二つの祖国』、『大地の子』が、そうである。
いずれも壮大な叙事詩とも言うべき大作だ。
社会がもたらす最大の不条理は、まさに「戦争」に他ならない。
山崎豊子さん自身、戦時中に、女子挺身隊として、軍需工場へ徴用され、多くの友人が、爆撃で、言われなく命を落していくのを目撃したと言う。
NHKのニュースによれば、亡くなられる間際まで、真珠湾攻撃で特殊潜航艇に乗り、出撃し、思いを果たせず捕虜になった人物をモデルにした『約束の海』という作品を執筆中だったそうだ。
むろん、特殊潜航艇というのは、任務が終われば、回収される見込みは少ない。
いやはや、戦争の当初から、日本の軍隊は、こんな特攻同然の作戦を平気でとったのだ。
全く、常軌を逸している。
まあ、それはさておき、残念ながら、この『約束の海』は、未完の遺作となってしまった。
山崎豊子さんは、最後の最後まで、命の限りを尽くして、戦争が生み出す悲劇を新たに描くことに取り組んでいたと言う。
まさに、それは壮絶なものであったようだ。
80才を越え、全身を原因不明の痛みに襲われながら、あたかも命を削るかのように、執筆活動を続けているのだ。
それは、まるで、尽きせぬ思いに突き動かされているかのような、鬼気迫る姿だったらしい。
万年筆で書き始め、筆圧が落ちると、鉛筆に持ち替え、それでも、思うに任せない時は、筆ペンで執筆が続けられたようだ。
これは、まさに執念である。
そこで、おじさん、こうした山崎さんの姿勢に敬意を表し、先の大戦の本当の意味での終戦と言ってもよい、《沖縄返還》における日米の密約に端を発する「西山記者事件」を題材にした『運命の人』を取り上げることにした。
同時に、この作品は、当時から現在に至るまでの日本のマスコミの構造的問題をつぶさに把握するのにも重要な作品である。
おじさん、この古本屋で、ずっと現在の大マスコミの問題点を考えてきただけに、この点でも、大いに参考になった。
山崎豊子さん自身、作家の前修行を、毎日新聞の記者として過ごしているだけに、当時の大マスコミの取材姿勢のあり方を、現場の目でつぶさに描き出している。
まあ、おじさんにとって、この作品を読むことは、山崎豊子さんへの追悼、そして、当時のマスコミの体質をつぶさに把握できる作品となった。
さて、この作品に書かれていたが、とにかく、当時の大マスコミに属する記者たちが目指した優秀な敏腕記者像とは、次のようなものだった。
本文から抜き書きしてみる。
……
「目端の効く政治部記者には、3つのタイプがある。
1つは、番記者時代に培ったコネで、遊泳術を身につけ政治家に転身するタイプ。
2つ目は、新聞記者の肩書きのまま、有力大物政治家の懐刀として、陰で政界を取り仕切る読売の▲▲タイプ。
3つ目は、▲▲同様、政官界に深く食い込み、情報を取りながら、世論をリードするようなトップ記事を、署名入りで書きまくり、政治家の方から必要とされる記者。
それが、このオレ様だと、弓成(ゆみなり)は自負している。」
【本文中より抜粋】
……
もちろん、弓成とは、この物語の主人公である。
まあ、当時の花形政治部記者の意識が、こんなスタンドプレイ的なら、やはり、マスコミが腐ってくるのは仕方がない。
ここには、マスコミという立場を利用した、紛々たる権力意識が感じられる。
報道が、まるで自己顕示欲のための個人プレイのパフォーマンスの場となっているようだ。
政官界との癒着をベースに、報道情報、つまり、特ダネやスクープ記事をものにしようというサモシイ根性である。
どこに、社会に対して客観的で正確な情報を、正しい動機のもとに伝えなければならないというマスコミの使命があると言うのだ。
完全に、マスコミ人としての本質的なあり方が忘れ去られているような気がする。
そこには、マスコミの権力の見張り番としての最大の役割を果たさなければならないという使命感は微塵も感じられない。
大マスコミのその先頭に立とうとする人間が、こんな精神構造に捉われているのなら、夜討ち朝駆けのぶら下がり記者、おはよう記者が、霞が関や永田町の記者クラブに屯(たむろ)しても無理はない。
おじさん、この本を読み始めてつくづく思うのだが、確かに、この小説のモデルとなった西山事件では、政治による情報操作、政治によるマスコミへの圧力など、権力の横暴に対する国民の「知る権利」に関する様々な問題が取り上げられている。
しかし、一方では、大マスコミ自体に、この事件を生み出す精神的な土壌、いやもう、マスコミ事態の根本的な報道姿勢のあり方の歪みを感じざる得ない。
おじさん、長い物語のため、取りあえず、エピローグに当たる部分くらいしか、まだ読み進めていない。
やはり、現在のマスコミに繋がる構造的問題を強く感じるし、その問題について考えていきたいと思っている。
ゆっくり読み進めたいと思っているので、徐々に、おじさんが思ったマスコミについての問題点を、順々に報告していきたいと思っている。
さて、それにあたり、あまりにも有名な事件だけに、充分ご存じかと思うが、この作品のモデルとなった、毎日新聞記者の西山事件について、事件の概要を記しておきたい。
本作品は、実際の事件を徹底主題して、作家によりフィクションとして再構築されたものである。
昭和45年の頃のことである。
当時、佐藤栄作政権の最後の花道として、沖縄返還が最大の政治課題となっていた。
事実、沖縄返還は実現したのだが、返還にあたり、基地の撤去費用について、日米のどちらがその費用を持つかで、交渉が難航する。
結局、当時、沖縄返還の合意が直前に迫る中、国民を欺くような秘密合意が成されていた。
いわゆる、基地の撤去費用は、米国側が持つと公式発表していながら、その実、日本側が米国に支払う変換費用の総額の中に、見舞金として上乗せしておくという密約が成されていたのだ。
つまり、これでは、撤去費用は日本側が支払うことになる。
とすれば、国際通例上、米国が持たなければならない費用は、当然米国に要求するとしていた佐藤政権は、国民を欺く見せかけの発表をしたことになる。
これは、国民に対する重大な裏切り行為である。
このことを裏付ける外交機密文書を、西山記者が、独自の情報ソースから入手し、新聞ですっぱ抜くのだ。
さらに、それは売名好きの野党の政治家にもリークされ、国会の衆議院予算委員会の質問で、取り上げられることになる。
このことをキッカケに、機密文書をリークした情報ソースが特定されてしまう。
その外交秘密文書をリークしたのは、当時、外務省の審議官の秘書的な仕事に携わっていた、女盛りの女性事務官だった。
やがて、省内調査が進展し、その外務事務官は、上司から自首を促されて検察に出頭し、逮捕されるという事態になる。
国家公務員法における秘密漏洩の罪だ。
すぐさま、彼女の自供に基づいて、西山記者も逮捕され、留置場に収監されるのだ。
こちらは、国家公務員法における、そそのかし罪だ。
敏腕記者が、取材活動により逮捕されるなどということは、前代未聞の事態だった。
その裏には、政治生命をかけて実現させた沖縄返還の栄誉に泥を浴びせかけられた佐藤栄作首相の意志が強く働いていたと言われている。
これにより、国民の知る権利を標榜するマスコミ各社は、騒然となり、世論も含めて、一斉に佐藤政権への批判を強めていく。
こうして、政権VSマスコミの構図となり、佐藤政権は窮地に追い詰められることになった。
ところが、ここから、当時の権力による、西山記者へのリベンジ(復讐)が始まるのだ。
さしずめ、「倍返し」ということになるだろう。
いや、権力者の怨念は凄まじい。
それ以上かも知れない。
裁判の起訴状で、実は、その女性事務官と西山記者との間には、男女の関係があったことが暴露される。
いやもう、世論の関心の矛先は、一転、西山記者の愛人・不倫スキャンダルへと傾いていく。
まあ、これは、権力側の意図した世論誘導の匂いが強いが、以来、それまで、毎日新聞と共同戦線を牽いていた他のマスコミ各社も、潮が引くように西山記者支援から手を引き、スキャンダル問題へと報道の重点を移していく。
これは、まさに政権側の思う壺だ。
かくて、問題の核心である当時の政権の国民への裏切り、いわゆる、基地撤去の密約における虚偽発表の問題、国民の知る権利の問題は、西山記者の愛人・不倫スキャンダルの問題へとすり替えられてしまう。
かくて、本事件は、国家の機密保持、国民の知る権利、マスコミ取材による報道のあり方、そして、権力の横暴と人間の愛憎など様々な重要な問題点を含んでいる。
本物語は、『運命の人 1~4』と長い物語だが、おじさん、様々なことに思いを馳せながら、熟読玩味して読んでいきたいと思う。
※ヤフーブログにて 2014年2月11日 アップ
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