パラレルワールドは、自身の心の中にある 『パラレルワールド・ラブストーリー』より ☆☆☆

『パラレルワールド・ラブストーリー』 著者 東野 圭吾 


まあ、ラブストーリーとしては、テレビの月曜ドラマ並みだろうが、さすがに、東野圭吾さん、そこに、科学ミステリーの仕掛けを持ち込むと、ありふれた三角関係のラブストーリーも、俄然、輝いてくるのだ。

おじさんたちは、意識として、脳が映し出す幻影の中で生きている。

目の前に見えるもの全てが、意識により創り出された世界なのだ。

脳が編み出す想念と共に、おじさんたちの存在があるのだ。

まさに、想念の残像である記憶の蓄積の中で、自己のアイデンティティを確認し、将来への希望を繋ぐのだ。

考えてみると、おじさんたちは、事も無げに認知症という言葉を使うが、記憶がなくなり、それを認知できないとなると、それは、自己の存在を喪失することに他ならない。

記憶の蓄積の連続線上に明日が想定されていくとしたら、認知症とは、永遠に明日のない世界に生きることになる。

いやもう、これは想像するだに恐ろしいことである。

おじさんたちは、普段の変化の連続線上の中で、自己の存在価値を見出すからである。

記憶の積み重ねがあるから、生きることへの希望が見いだせるのだ。

おじさんたちの記憶は、唯一無二、おじさんたち自身のものであるはずだ。

そして、それは、生まれた時から死ぬまで、一本道で繋がっていなければならない。

その記憶を操作できるとしたら、おじさんたちは、いくつもの人生を獲得することができることになる。

本来の記憶、それに手を加えることにより生まれる新しい世界の獲得である。

あるがままの自然な記憶が生み出す人生、そして、改変された記憶の延長線上に開かれていく人生、これらは、まさにパラレルワールドの様相を呈していくに違いない。

もし、仮りにだ。

行き場のないラブストーリー。

例えば、このまま行けば、誰もが傷つかずにはすまされない三角関係の解決策として、その記憶の改変が使われたとしたら、どうだろうか? 

そんな想定のもとに、このラブ・ミステリーは描かれていく。

物語のエビローグはこうだ。

これは、見事に、これから始まる物語を暗示していて、すごく印象的だった。

東京のある鉄道路線には、しばらくは、行きつ戻りつ同じ方向に進みながらも、やがて、全く違った方向に分かれて行ってしまう、パラレルな路線がある。

主人公は、この電車の一方に乗り合わせ、ふと、窓越しに、相対して走る向こう側の電車の中に、どことなく、心惹かれる美しい女性が乗っているのに気づく。

そんな偶然の出会いの日が、いく日も続いた。

彼は、いつしか、その女性のことが気になって仕方がなくなる。

やがて彼女の方も、自分の存在に気付いているような思いに捉われてしまうのだ。

ついに、彼は、もう、その電車で通勤することが最後となった日、意を決して、反対側の車両に乗り込み、彼女を捜すことにする。

ところが、いくら捜してみても、その車両には彼女は見当たらなかった。

諦めて、何気なく見た、いつも自分が乗っていた車両の中には、何と、彼女の姿があったのだ。

いつもの姿そのままに、こちらを見つめていたのだ。

彼女の記憶の残像はあるが、現実には、彼女はそこにはいない。

彼女は、全く異なった記憶の世界に存在するのだ。

いやはや、交わることのない記憶のパラレルワールドにいたのだ。

こうして、ラブストーリーは始まる。

主人公は、ある外資系の最先端科学技術を開発する企業に研究員として勤務していた。

彼には、足の悪い幼馴染がいた。

その友達も、また同じ企業の同じ研究所に勤めているライバルだった。

二人は、時には、かばい合いながらも、切磋琢磨して、エリート科学者としての入り口に立っていた。

二人の研究領域は、リアリティ・ブレーンと呼ばれる最新の分野だった。

主人公は、直接、脳に働きかけ、幻想を創出させるメソッドを研究し、友達は、記憶に働きかけることにより、間接的に現実とは異なる幻想を現出させるメソッドに取り組んでいた。

ある時、その足の悪い友達が美しい女性と付き合い始める。

障害のある彼にしては、初めての恋だったし、もう、二度と訪れることはない、かけがえのない恋のチャンスだった。

ある日、主人公は、その友達から、彼女を紹介されることになる。

ところが、彼女は、意外にも、あのパラレル電車に乗っていた彼女、その人だったのだ。

主人公は、彼女を激しく愛するようになる。

まあ、ここから、物語は、友情か、愛かと言う、行き場のない愛憎劇に展開する。

そして、その解決手段として、記憶の改変と言う研究成果が使用されることになるのだ。

まあ、これから先は、本をお読みいただくとして、おじさん、現実に、記憶の改変は可能なのだろうかと、考えてしまうのだ。

この作品では、心理学的に言えば、いわゆる、イソップ寓話の『すっぱい葡萄』のように、つまり、心の合理化を利用することにより、記憶の改変は可能だと言う。

おじさんたちは、都合の悪い記憶については、その心理的な安定を求め、自らに嘘をつくことをする。

誰かが美味しそうな葡萄にありついたら、それを、すっぱい葡萄だと言って、自らの心を誤魔化そうとするのだ。

その合理化が繰り返され、長い時間を経ることにより、いつのまにか、その葡萄が、実際にすっぱい葡萄であるかのように思い込んでしまうのだ。

すっぱい葡萄が真実になる。

つまり、記憶は改変されたことになるのだ。

殺人犯が長い間、無実を主張していると、いつの間にか、本当に犯罪を犯していないと思い込むようになるのと似ている。

この作品では、改変したい記憶の脳波パターンを読み取り、それを脳の記憶領域に移植する。

脳は自動的に、記憶のギャップを埋める方向に働き、やがては、記憶の改変に至ると解説している。

この一連の作業を、まるでゲーム機を操る感覚で、簡単な操作のみで記憶を改変するブレーン・マシンを開発するのだ。

まあ、これは小説の世界で、現実には、類似のマシンが開発されるのは、相当、未来の話しだろう。

ところが、よくよく考えてみると、おじさんたちは、心の作用により、案外、こうしたパラレルワールドを、やむにやまれずに、創り出しているのではないだろうか?

パラレルワールドと言えば、おじさん、すぐに、村上春樹さんの『1Q84』を思い出す。

あの小説の場合には、ブレーン・マシンなどは登場しない。

ところが、登場人物の天吾や青豆は、確実に、月が2つあるパラレルワールドを持っていた。

そのパラレルワールドで、相手の予感を感じながら、お互いの救いを求め合っていたのだ。

この二人が、パラレルワールドに迷い込んだのは、子供の頃の過酷な幼児体験だった。

ひょっとすると、この時に、記憶改変のための種が植え付けられたのかもしれない。

いやはや、リトルピープルが住み着くこととなったのだ。

おじさん、『1Q84』は、BOOK2までしか読んでいない。

実は、BOOK3は、いつでも読めるように手元に置いてあるのだが、楽しみにとってある。

この二人の出会いは実現したのだろうか? 

パラレルワールドでしか、二人の出会いはないのだろうか? 

まあ、それはさておき、村上春樹さんによると、癒やされない心の傷を抱える人は、やがて、パラレルワールドを彷徨い歩くことになるのだろうか?

いやはや、怖いものである。

おじさんも、何か、今、パラレルワールドに居るような気になってきた。

このまま、ぐうたら猫を続けていると、いつかは、《パラレルワールド=ぐうたらの世界》から抜け出せなくなってしまうかも知れない。

村上春樹さんが描く、不思議な猫の国を思い出した。

あの場合も、電車に乗って見知らぬ駅に降りてしまうところから始まった。

一度、入り込んだら、決して戻れなかった。

そうだ、宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』も、列車に、猫の車掌さんだ。

どうも、一人で電車に乗る時は、気を付けなければならないようだ。

いつの間にか、パラレルワールドに紛れ込んでしまっている。

とは言え、おじさん、ぐうたら猫だから、猫の国に住み着いてしまっても良いような気がする。

どうも、パラレルワールドは、おじさんたちの自らの心の中にあるようだ。

おじさんには、残念ながら、もう、ラブストーリーはない。

ただただ、ぐうたらの世界があるだけだ。

ヤレヤレ!

  ※ヤフーブログにて 2012年7月19日 アップ

"パラレルワールドは、自身の心の中にある 『パラレルワールド・ラブストーリー』より ☆☆☆" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント