原発よりも恐ろしい人間の欲望 『スピカ 』~原発占拠~より ☆☆☆

『スピカ 』~原発占拠~ 著者 高嶋 哲夫


おじさん、福島第一原発の事故以来、原子力や原発について、自分なりに考えてきたが、どうも、一番触れたくないテーマに辿り着いたようだ。

いやはや、原子力、原発とテロリズムの問題である。

関西出身の、ある過激なテレビコメンテーターが、原発事故の真っ最中に、時期も弁えず、テロによりハイジャックされた航空機が原発に突入するリスクについて、声高に叫んでいた。

ホント、苦々しく思ったものである。

ところが、その発言のタイミングの非常識さはともかくとして、やはり、原発の大きなリスクとして、このテロリズムへの恐怖を避けて通ることはできないと思う。

まあ、今回の原発事故は、或る意味、想定外の不作為の人災と言えるだろうが、まさに、テロが引き起こす事故は、作為の人災といってよいだろう。

いやもう、それだけに性質が悪い。

おじさん、まだ、現役の頃、関わっていた仕事で、何度も福井県美浜町の第一原発を視察したことがある。

ふと、その時の警備状況を思い起こしたのだ。

もちろん、おじさんたちが訪れるといっても、視察という立場だから、お決まりの見学コースを見て回ることでしかない。

本命の原子炉建屋を横目で眺めながら、その横を素通りして、エネルギーセンターなどの展示物を見学するのだ。

その後、会議室で原発の安全性について説明を聞くという手順である。

原子炉建屋は、当然、立ち入り禁止だ。

周りを鉄柵が囲い、車両などを厳重に検問している。

といっても、緊迫した空気はなく、どこか、のどかで穏やかな警戒状況である。

全く、警官は見当たらない。

警備しているのは、ガードマンだけである。

きっと、ガードマンに指示されているのは、問題が起きれば、抵抗せずに、すぐさま逃げろ!速やかに、警察に連絡しろ!ということだろう。

まあ、テロのような、悪意のある侵入に対しては、このような警備状況では、ほとんど防御の体をなさないだろう。

いとも簡単に、初動で、突破されることに違いない。

いやはや、おじさん、その当時は、そんなことが気になったわけではなかった。

当時に比べれば、今では、警備も随分、厳重にはなっているだろうが、今、思い起こすと、平和ボケの日本、とにかく、無防備なものだと思うのだ。

確か、おじさんの記憶では、全世界に、およそ450以上の原発が存在していると思う。

それに、原子力研究所や核兵器製造工場を加えると、いたる所に、厖大な数のテロリズムの標的が存在しているということになる。

あな、恐ろしや!

まだ、アメリカなどでは、原発を初め、原子力関連施設の警備は厳しいと聞く。

まず、軍や警察が施設を防備している場合が多いだろう。

日本の場合は甚だお粗末である。

さらに、燃料の輸送の問題もある。

プルサーマルタイプの原発で使われるプルトニュームの輸送には、大きな危険が伴っているのである。

日本では、その輸送経路も警備状況も公表されていないというが、本当に、入念な安全対策が取られているのだろうか?

こうした現状の放置は、まさか、人道主義的に、テロリストも原発には手を出さないだろう!世界の人間を敵に回すようなことはないだろう!という性善説的な楽観主義に立っているためだろう。

しかしながら、考えてみれば、原発事故は、それが、作為的であろうがなかろうが、決して起こってはならないことなのである。

いやもう、起こったら最後、とてつもない悲惨な状況が現出することとなるだろう。

おじさん、これまで、実は原発をテロのターゲットとする程の動機付けは、いかに、どんな憎悪があろうと、ないだろうと思っていたのだ。

ところが、この小説を読んでいると、いささか強引な設定とは思うが、原発へのテロもありうるかなと思うようになってきたのだ。

この物語では、原発にテロを仕掛ける組織は、日本赤軍とそれに呼応したソ連共産主義解放戦線ということになっている。

まあ、レーニンが目指した共産主義国家の復活をもくろむテロリズム組織だ。特殊訓練を受けた100人のテロリストが、嵐の日本海を突き渡り、富山県沿岸地に建設された世界最大の原発を急襲するという設定になっている。

瞬く間に原発は占拠され、日本政府に対して、ロシア共産主義活動家の釈放や2千億円もの巨額の資金提供が要求される。

要求に従わない場合は、放射能を含んだ水蒸気をベントするというのだ。

数百万人の命が危険にさらされる。ところが、この原発占拠のテロを可能にしたのは、何と、原子力の平和利用を唱え続けていた高齢のロシアの著名原子物理学者、その人だったのである。

まさに、原発占拠のテロリストの中心人物として、このテロに加担していたのだ。

その動機は、極めて個人的な理由から出たものだった。

博士は、チェルノブイリ原発の事故により、最愛の娘と孫を放射能による白血病で失っていたのだ。

テロの動機が、原発が本当に安全なのかという根源的な命題に関わる問題だったのだ。

テロにより、逆に、原発の危険性を証明しようとして、博士は、この暴挙を引き起こしたのである。

もう一度、おじさんたちは、チェルノブイリ原発に目を向けるべきだ。

事故後、数年間に渡って、事故を起こした原子炉の横の原子炉では、経済的な理由のため、原発は稼働し続けていた。

大きな犠牲を払った代償が返り見られることがないなら、その憎悪の連鎖は、原発におけるテロリズムに対し、間違いなく、その動機付けを与え続けるだろう。

限りなく、憎悪の連鎖は続くのである。

いやはや、本小説は、12月22日のテロリストによる原発占拠から、12月25日のクリスマスの事件終結まで息をつかさぬテロリストと日本政府の攻防を描いていく。

まさに、その物語の進展を通じて、原子力問題の全てと、その根っこにある本質を、おじさんたちに、つぶさに突きつけてくれるのである。

結局、最も危険なのは、人間の限りない欲望と、そこから生まれる憎悪の連鎖ではないのか?

この本は、原子力問題が、単に原発の危険ということに留まらない、あたかも核反応のような、限りない欲望の増殖と分裂という、人類普遍の命題を内包していることを教えてくれるのだ。

おじさんたち、一度は、真正面から、この問題に向かい合わなければならない時がくるだろう。

  ※ヤフーブログにて 2011年11月19日 アップ

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