客がしらけても何のその! 『CD/落語特選⑧ 林家三平』より ☆に関係なし

『CD/落語特選⑧ 林家三平』  
  《『源平盛衰記》 ・ 《三平グラフィティ》 

おじさん、この古本屋で、随分多くの落語家を取り上げてきた。

どうも、「何か、肝心な人を忘れていませんか!?」と気になっていた。

古いところでは、春風亭柳朝さん。

確かに、この古本屋では、まだ、取り上げていない。

取り上げなければいけない落語家だ。

いずれ取り上げる。

しかし、喉の奥に引っかかっていたのは、この人ではない。

思いつくままに、橘屋圓蔵(月の家圓鏡)さん、三遊亭小圓遊さん、三遊亭圓歌さん……

確かに、まだ、この三人も古本屋では取り上げていないが、おじさん、その名前は、しっかり意識している。

で、喉の小骨を取るべく、じっくりと考えた。

いやはや、それは、初代 林家三平さんだ。

どうして、この名前が出てこなかったのだろうか? 

おじさん、あまり適切だと思わないのだが、昭和の爆笑王と呼ばれていながらも、林家三平さんには、高座を収録したCDが極めて少ないのだ。

おじさん、やっとの思いで探し出した次第だ。

落語家よりもタレントのイメージが強いからと言うこともあるだろうが、三平さんは、ちゃんと、三平スタイルと言うべき落語を寄席で演じている。

だから、上方の何とか言うタレント落語家さんのように、CDにすると、あまり上手とは言えない落語のアラが出て、録音に、二の足を踏む必要もない。

ちなみに、聴いてみれば、まあ、古典落語のように何度も聞く気にはなれないかもしれないが、一見(いちげん)さんには、結構、面白い。

あの桂文楽さんが師匠だけに、しっかりした話芸としての裏打ちがあるのだ。

あるいは、よく考えてみれば、演じる噺が、古典でなく、新作だからかも知れない。

しかし、新作オンリーの噺家であっても、上方の桂文枝(桂三枝)さんには、米朝さんに匹敵するほど、多くの収録CDがある。

江戸前落語では、古今亭今輔さんや桂米丸さんの収録CDは、容易に見つけられる。

いずれにしろ、古典落語は、新作落語に比して、型が決まっているだけに録音しやすいのかも知れない。

いやあ、林家三平さんの場合は、無勝っ手流と言って良い。

ほぼ、落語に一貫した筋の通ったストーリーはない。

小噺の連結なのだ。

ヌンチャク型落語だ。

だから、その都度、噺の内容が、変幻万化、自在に異なる。

これほど収録しにくい高座はないだろう。

オマケに、客をいじくるから、何が起こるか分らない。

客とのやり取りの中でのハプニングも、また林家三平さんの落語の魅力なのだ。

日により、高座により、さらに、お客さんにより、噺の出来、不出来の波も激しいだろう。

まあ、よく考えてみれば、三平さんほど、落語CDになりにくい落語家はないのだ。

だから、今となっては、林家三平さんの往時の高座を後追いしにくい。

中々、在りし日の三平さんの落語を再び聴くことがおぼつかない。

ユーチューブで、2、3、映像付きで観れる程度だ。

おじさんは、やっとのことで、落語特選の中の1枚から、三平さんの《源平盛衰記》と《三平グラフィティ》の二題が収録されているCDを探し出した。

嬉しいことに、あの♪ヨシコさん、キッスさせて、いいじゃないのさ、なぜ、逃げるのさ…♪の、粘つくような歌声も収録されていた。

聴くのは、何年振りだろう。

背中、ゾクッ、ゾクッ! 

いやあ、改めて聴いてみると、誠に面白い。

と言って、先にも書いたように、昭和の爆笑王と言うような軽妙な話術ではない。

苦しんで、苦しんで、お客さんを力技で押さえつけて、笑いに繋げている。

どうしても、お客さんが笑わないとなると、片手の拳の裏を頭に押し付ける例のポーズで、お客さんに、笑いを強要する。

お客さん、仕方なしに、好意の作り笑い。

いやいや、苦笑いかも知れない。

それでも、笑わないとなると、エヘヘ、ドウモスミマセン。

いやもう、ウケようが、ウケまいが、平気な顔で、つまらない小噺を摘み重ねていく。

愚にもつかないギャグやネタを連発し、客をシラケさせる。

シラケても、シラケてもなんのその、気にしている様子もない。

ただ、ひたすら、話し続け、懲りる風もない。

「間」が持てなくなると、歌に逃げる。

これは、結構、上手い。

ともかく、語り口はテンポ良く、頭の回転よろしく、まあ、次から次へと、呆れる程に小噺が飛び出してくる。

今回、《源平盛衰記》を聴いたのだが、この演目は、立川談志さんが演じているのを、よく聴いている。

《源平盛衰記》のあらすじを辿りながら、世相を踏まえた様々な笑いのエピソードを取入れ語って行くと言う、一風変わった噺だ。

演者の自由度が高い。

ま、談志さんの場合は、あれだけの達者な人だ、オマケに、講談も語れるから、出色の出来だった。

で、林家三平さんの方だが、この噺は、三平スタイルには好都合な噺だけに結構笑えた。

何の脈絡もないエピソードを、思いつきのままに話しても、盛衰記のフレームがあるから、噺に詰まれば、盛衰記に戻れば良い。

林家三平さんには、もってこいの噺だろう。

普段は、小噺と小噺の間を歌で繋いでいた。

ギター漫談のような落語だ。

それが、この噺の場合には、盛衰記が、「間」繋ぎになる。

林家三平さんの代表作になるのは当然だ。

これは、林家三平さんにとって、まさに、うってつけの噺で、聴いてみる価値はある。

ところで、林家三平さんの高座での顔付きを思い出して欲しい。

言わば、天然パーマの髪の毛で蓋をした、縦長の湯飲み茶碗に、幼稚園児が、マジックで目鼻立ちを描き加えたような顔だ。

ところが、顔全体は、いつも笑っているように見えるのだが、じっくり、その目を見たことがありますか? 

目だけが、随分真剣で、ホント、全く笑っていないのだ。

戸惑いと緊張感すら見られる。

そこには、勝負師の凄みが宿っている。

そう考えたら、あの顔は、笑ってはいるが、必死の形相と言えるのだ。

以前、紹介したエピソードだが、三平さんが亡くなられて、遺品を整理したら、びっしりと小噺のネタが書き込まれたノートが何十冊も発見されたと言う。

きっと、林家三平さんにとって、高座一席一席が、あだた、おろそかにできない笑いの真剣勝負だったのだろう。

ひょっとすれば、あのバカバカしいひょうきんさの陰には、ものすごくナイーブで真面目な精進が裏打ちされていたのかも知れない。

師匠の桂文楽さんが、落語界に現れた「お化け」と称したように、林家三平さんは、戦後の落語界が咲かせた「徒花」と言って良いかも知れない。

とにもかくにも、おじさん、もっと、初代林家三平さんの高座を聴きたくなってきた。

落語を芸術と捉える向きには、噺の内容がばかばかしく、癖があり、食わず嫌いで、敬遠しがちになるが、おじさん、今回、三平さんの落語を聴いてみて、声を大にして言いたい。

「ハヤシもあるでヨ!」 

オアトガヨロシイヨウデ…。

  ※ヤフーブログにて 2015年6月13日 アップ

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